スポーツと考えるということ

スポーツを考えるまるブロ
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みなさん、こんにちはこんばんは!

社会人になってもバスケばかりしているまる(@maruboyblog)です。

今回の記事ではスポーツ好きの僕がスポーツにおいて重要視すべきでありながら、ほとんどの選手が欠落していると感じる意識・マインドについて記しています。

一人でも多くのスポーツマンに感じる部分があったり参考になったりすれば嬉しいです。

(本記事は敢えて固い文章になっています)


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スポーツを考える重要性

スポーツを考えるということ

スポーツマン・部活動生を見ていると、あまりに「考える」ということが欠落している選手が多い。

僕はそれなりのレベルでバスケという競技を続けてきたので、後輩や学生にOBとして練習や試合の感想・アドバイスを求められることがある。

その際には決まって「考える力をつけよう」みたいなことを言うことにしている。

それほどスポーツにおいて「考える」力が重要だと考えている。

僕は20代後半になりまだバスケットボールを社会人チームでやっているが、自分の現役生活の中で1番上手くなっている自負がある。

学生の頃は週6~7回バスケをしていたが、今は良くても週2~3回しかできない。

週2~3回でバスケをしていると学生の頃以上にバスケについて考えることが多くなる。

NBAを見たりYouTubeの指南動画を見たり、チームの作戦を考えたり自分の役目を考えたり、「考えて」練習やトレーニングをすることで競技力は向上していると実感している。

この文章は「こうしたら競技力が上がる」みたいなものではないですが、スポーツを頑張っている人の一歩引いて客観的に捉えて”自分で考える”きっかけになれば嬉しいと思います。


スポーツにおけるインプット・アウトプット

スポーツにおけるインプット・アウトプット

現代社会において一般的にアウトプットする(行動する)ことは大事だとされている。

今の時代において本やセミナー、〇〇講座のようなインプットするための箱やコンテンツは一昔前よりも手軽なものとなっている。

YouTubeやNetflix等に代表される動画コンテンツはさらにその流れに拍車をかけている。

様々なものがデジタル化され「いつでもどこでも」勉強したり体験したりすることができるようになっている。

本でさえもKindleのような電子書籍として本屋に行かなくても何度かデバイスをタッチするだけですぐに購読できるようになった、、みたいなことを自己啓発本で見ることが頻繁にある。

そういった類の本を読んでいると、結果的に「走りながら考えることがベストだ」「考えながら走ると良い」というような結論になることがほとんどである。

多くの社会人(会社員)にとってはそれが目指すべき姿で正解のような気がする。

ミスしたら恥ずかしい・周りの目が気になって勇気が出ないというような理由がネックになり、アウトプットが少なくなりがちだと感じる。

大抵の「意識高い社会人」と呼ばれるような人々は日々大量のインプットをしているので、それを現場でアウトプットすることによって多くの書籍に書いてある目指すべき姿になれる。

市場価値が上がり社会人としてロールモデルのような人材になれるかと思う。

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一方でアウトプットばかりしている人達はいないかと考えたところ、タレントや芸(能)人、スポーツ選手が当てはまるかと思う。

タレント・芸能人は常にカメラやマイクを向けられ嫌でもアウトプットをする場を設けられる。

アウトプットしたコメントや表現がメディアに露出し、視聴率や視聴者からの評価、最近ではSNSの反応等の結果がフィードバックとして出てくる。

彼らは売れるためにそれら世間の評価を上げていく必要があり、キャラを作ったり話し方を変えてみたり流行りに乗ってみたり試行錯誤をしていく。

まさに「走りながら考える」「考えながら走る」でこれをできない、世間にハマらない人は売れずにいつの間にか芸能界から消えることになる。

たまに見るおバカタレントがクイズ番組に何度も出ている内に賢くなってしまったというのもこのアウトプットとインプットの循環にハマっているからだと思う。

(キャラ作りとしては失敗してしまっているようにも思うが、、)

スポーツ選手はというと多くは上記のようにはいかない。

稀に練習やトレーニングを嫌い、実践の中で試行錯誤を繰り返して上手くなるいわゆる天才型もいるが、ほとんどの人はそれに該当しない。

それなのにコーチや指導者の言われるがままに練習やトレーニングに励んでいる。

僕も昔は上記のようにがむしゃらに競技に励んでいて、そうすることで試合に出場するチャンスが与えられその中で活躍することが大事だと思っていた。

ただ、コーチに言われたことをそのまま頑張る”だけ”では選手としての伸び代に天井がある。

そしてこの伸び代は選手の内部でコントロールできるものではなく、あくまでコーチの指導力に依存する。

だからこそ選手自身が「考える」ことが重要だと思う。

僕はバスケをしているが一昔前だとほとんど本やビデオ、DVDからしか情報を取ってこれなかった。

今はというとSNSもある、YouTubeもある、地上波のテレビでも試合が観ることができる、、みたいな情報を取ってくる手段がいくらでもある。

「テクニック」だけではなく心・技・体それぞれに考えるべきことがある。

あえて「テクニック」だけでないと強調したのは、バスケにおいて各媒体でそればかりが情報として転がっていて、拾う側(選手)もその情報ばかりを欲しがっているように感じるからだ。

たしかに見栄えの良い〇〇ドリブルみたいなものはすぐ真似でき取り入れやすい。

しかし、バスケにおけるスキルや能力はシャムゴットのようなクールな技だけではない。

技を効率的に使う筋力やアジリティ、判断力、チームメイトとの連携など挙げ出すとキリがない。

メモリーツリーやマインドマップのように「バスケスキル」という言葉を丸で囲い連想するワードを挙げていけば数百、数千と派生させることができる。

これらのスキルに対して、考えて、やってみて、習得する・習慣化することがより上達するコツだと思う。

バスケは一瞬の判断が求められ判断が習慣に委ねられるのでハビットスポーツと表現されるが、スポーツ全般において良い習慣をつけておくことは間違いない。

こういった努力をすることがコーチの想像を超えて一流の選手になる手助けをしてくれる。

偏見かもしれないが、プロのスポーツ選手やスポーツ推薦上がりの学生を見ていると腹黒いなと思うことが実に多い。

コーチの指導に対して表面的にはうんうん頷いているが、コートに戻ると「うっせぇわ」と言わんばかりの表情をしている。

自分のエゴを通したい選手もいると思うが、大体自分の考えを持っているからこそ反抗心が生まれるのだと思う。

この態度が良い悪いという話ではなく1つ1つの動きに対して意味を持たせているからこその態度なんだろうと思う。

ただコーチが言ったからではなく競技に対して自分の意思を乗せている。

これこそが彼らがプロフェッショナルたらしめる所以ではないかと思う。


スポーツと「言語化」

スポーツと言語化

「スポーツ」と「考えること」を記す上で1つ重要なキーワードがある。

それは「言語化」である。

なぜその動きをしたのか、何のための練習か、そのトレーニングはどこに効いているのか、競技においてはどのように活かすことができるのか、自分がすることの1つ1つに対して言語化できるかということを考える必要がある。

この文章を読んでる人の多くは自分はできているだろうか、とドキッとしているに違いない。

僕も完全にできるかと言われると胸を張ってできるとは言えない。

とはいえ自分がやることに対して理解し言語化することは、非常に重要で競技力を上げるために不可欠なものだということは断言できる。

例えば、チームプレーをする中で1人だけいつもと違う動きをした結果、得点には繋がったがコーチには「ルールと違うことをするな!」と怒られる。

その中で自分の考えを言語化してコーチあるいはチームメイトを納得させることができれば、新たなチームの共通意識が生まれチームとしてのレベルをもう一段階上げることができる。

もう一つトレーニングで例を挙げてみる。

チームでトレーニングメニューは決まっていて、回数もチームで統一されている。

この時にみんなが同じく体が大きくなり力がつくかというとそうではない。

少しでもトレーニングをかじったことのある人は知っていると思うが、トレーニングで扱う重量や回数、休んでいる時間、栄養など様々な要因が絡んでトレーニングの成果は出てくる。

また、そのトレーニングが競技のどの動きを向上させるのかということを考えることも重要である。

それらを言語化できる程トレーニングの意味を理解できている人は必ず周りよりも良い成果が出る。

トレーニングについて言えば年々新しい情報が出てくるので、それこそ指導者やトレーナーのいうことを聞いているだけの選手と新しい情報を次々に取り入れることのできる選手では雲泥の差が出ることは明白である。

このようにスポーツにおいて「言語化」できるということは競技力を上げるために重要だが、「言語化」の有用性はこれらの例に留まらない。

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「言語化」は「再現性」を生み出してくれる。

再現性とは「ある事象が繰り返し行われる」より平たく言えば「入った時と同じようにシュートを打てば入る」ということだ。

スポーツ選手は前述した通り習慣化されている動きが実に多いので体が動くままに競技をしていることがほとんどである。

意識していると言えど、試合中に1つのシュートについて、この角度でシュートを打とう、肘は開き過ぎないように、全身を使って、とわざわざ思う選手はいない。

しかし、「今のシュートが何故入った(入らなかった)か」ということを問われた時に言語化できることは重要である。

シュートフォームが完璧だったのか、完全にフリーで打てたからなのか、はたまたパスが良かったからなのか、ということを因数分解して考えて言語化する。

極端な話だが言語化したことを再現できればシュートは入り続けるのである。

(それが難しいのがスポーツの醍醐味であり楽しいところだが…)

言語化したとしても全く同じ状況を作るのは難しいのではないかと思うかもしれないが、それをすることで近しい状況を再現することができる。

全く違う状況から打つシュートと近しい状況から打つシュートであれば、どちらが入りやすいかは考えなくてもわかる。

また、近しい状況をいつも作れるのであればそれを練習しておけばいいだけのことである。

シュートがどのような状況であれば入るのかということを言語化できるまで理解し自分の腹に落とし込み、「俺はこの態勢で打てばシュートが入るからここにパスを出してくれ」とチームメイトに共通認識を持たすことできれば、「再現性」が生まれてくるのである。

なんとなく動いているのと言語化されたゴールに向けて動いているのとでは、結果に天と地ほどの差が生まれるのは容易に想像ができる。

次回へ続く…⁇

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