一度だけでいいから頭の中を覗いてみてほしい。まる号

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まる0号

ブログの”ブ”すらわかってないですが、とりあえず書きます。

実はブログを立ち上げるまでは、別のwebサービスを使ってこの文章を書いていました。こちらの文章は自分のために書いていたのですが、かなり力を入れて書いたのでこちらにも載せます。

(少しリライトして読みやすくしています。)

なぜこんな文章を残こそうかと思ったか…それは現在、絶賛人生迷走中だからです。

仕事も1年目の勢いがなくなってしまい、色付いた話もなく好きな人すらいない。

そんな人生ツムツムモードをフィーバーモードにすべく、色々試行錯誤しているけども、なかなか上手くいかない、あたり前田のクラッカーお兄さんだ。

特に仕事の面では、仕事しながら色々動いているけど、社会人3年目、経験が少ないということで、難しい部分が多々ある。(この文章を書いている時の話。転職は完了したけど、今は今で何かとしんどいこともある。)

内省とか自己分析とか、先輩に相談とか色々してみたけど、それでも薄いし、自分が心から”やりたい”と思えることも未だになく、突っ走ることができない状態にちょびっと苦しんでいる。(この文章を書いた後に少しだけ見えてきた…)

だから一旦、幼少期〜今までどんなふうに生きてきて、何を感じたか、どんな考えを持ったか、何を学んだかなど、自由に少しふざけながら書けたらいいなと思って、書くことに決めた。

中学教師の友達に”頭痛が痛い”みたいなアホな文章を書くなあ、と言われたことがあるくらい文章力はなく稚拙な文章ですが、読んでくれたら謝謝です。

(追伸、私は大学受験時にセンター試験という試験で国語で80点台を叩きだしたことのある天才です。200点中のね。)

まる1号(小学校編)

幼い頃から振り返ってみたいと思う。

とは言うものの、記憶力に問題があるのか中学校以前の記憶はほとんどない。

微かな記憶を頼りに書いていきたいと思う。

(もしかしたら悪い記憶が美化されてるかもしれないから気をつけよう…)

まずは幼少期。

平成6年の戌年にオギャーと生まれてきた。

今思うと、あの時半音高くオンギャ〜と泣いていれば、センスだけで生きてける人間に育っていたかもしれない。そんなはずはない、、

まるは関西勢だと思っているけど、実際は東日本にも西日本にも属さない外国でベイベーまるは爆誕した。

だけど、生まれたすぐに親の転勤で翔んで埼玉し、小学校に上がるタイミングで帰国しているので、僕には南ちゃんのような幼馴染はいない。

幼稚園の頃の記憶なんて全くなくて、覚えていることは3つくらいしかない。

1個は運動会の締めの競技のリレーで組の代表に選ばれたこと、

もう1個はサッカーをやってたこと、

あとは幼稚園の横に柿の木が生えてたこと。

この頃からスポーツが好きだったんだなーと思う。

サッカーに関しては当時、一生懸命にやってた記憶しかないけど、親から聞いた話だと県代表に選ばれてたらしい。

幼い頃から運動神経だけはあったようだ。

(国語の試験は80点台しかとれないけど…)

幼稚園の頃の記憶はこれくらいしかないから、もう小学校の話に移りたいと思う。

(本当に3年通ってたのかな…)

ただ、やはり記憶力に問題があるので、小学校の記憶もそんなにない。

幼稚園の記憶よりはマシなので、しっかり書いていこうと思う。

以前にも書いたけど小学校に上がるタイミングで外国に戻ってきた、僕はいわば帰国子女(みたいなもの)である。

自分で言うのもアレだけど、僕は優しく素直で真面目で面白く運動もできる、全部マン、白馬の王子様、あるいは神童だったと思う。

(顔については触れないでほしい、当時は可愛かったはず、)

入学式当日はすごく緊張していた記憶が微かにある。けれども、何故だかすぐに友達ができた。

その友達とは小学校時代めちゃめちゃ遊んだが、今では全然連絡すら取ってなく、近況もわからない。

ただ、彼が実家の仕事を継いだことは親伝いで聞いた。

人生迷走してる僕よりも圧倒的に偉いなーと感心した。今度、帰省したら久々に会いに彼のお店に顔を出しに行こう…

サッカーは少し形を変えてフットサルをすることにした。

僕はスポーツであれば何でも好きだったし、運動能力は抜群だったので、たくさんのスポーツをした。

フットサル、ソフトボール、水泳、バスケ、バレーボールなどを習い、学校では10分休みでさえもドッチボールをしていた。

スポーツ八方美人だった。

体育の授業では、大体すぐになんでもできてしまうので少し退屈な部分もあった気がする。

器械体操では、体操を習っている友達と同じことができ、授業で取り扱っていないハンドスプリングや跳び箱の上でクルクルと回ったりしていた。

それだけスポーツ好きで得意だったけども、そのほとんどを小3で辞め、バスケに専念することにした。

バスケを始めた理由は友達に誘われたからというのが理由でだったと思う。

今思えばフットサルの強化チームへの昇級テストに落ちたことと、バスケに誘われて他のスポーツより思い通りにできず負けず嫌いに火が付いたことがちょうど重なってバスケ1本にしようと決めたような気がする。

そこから15年以上経ち、頻度は減ったものの今でも本気でできるからやはり魅力的なスポーツなんだなと改めて感じる。

僕は人気者だったと思う。

少なくとも小学校時代にまるというやつがいたなーとみんなが思い出すレベルには。

スポーツは抜群にできたし優しいしテストもほぼ満点だったし、何より面白かった。(当時はエンタと笑金のマネをしてるだけでもウケてた。)

こんなことを言うとアレだけど、小学生くらいのころなんて上の条件があればもてはやされたし少しモテてた。

ただ、それでいて少し親は厳しかった。

漢字ドリルが終わるまで友達のとこに遊びに行ったらダメとか、毎日そろばん教室に行きなさい(そろばんが終わったらすぐにバスケの練習だった)とか、門限もあったし友達も家に呼ぶことはほとんど許されていなかった。

だから、もてはやされていたとは言っても友達と遊ぶ機会はかなり少なかったし、なんなら学校外で遊ぶ友達も少なかったと思う。

当時はそれをとても悲しく思ったけど、厳しい代わりにやりたいと言ったことはやらせてくれていた親には今でこそ感謝している。

小学校では、初恋を含めて2度恋をした。

今でも気にしいな性格だけど、当時はかなりその気が強く好きだと口に出して伝えることは全くしなかった。

だけど、とてもはっきりと行動や言葉に滲み出ていたと思う。

周りの友達は好きなんやろー(ニカッ)と煽ってくるんだけども、「は、好きじゃねーし、意味わからんし」と典型的な強がりを言っていた。

という感じでこちらが勝手に想って何も伝えないという卑怯な恋をしていたので、何も実らず叶わず2度の恋はただの片思いで終わった。

初恋の子は中学校も同じだったものの、高校からはわかれた。

成人式で久しぶりに会って何故かは忘れたけど、少しだけ連絡を取った。

すると、その子も初恋が僕だったということがわかり、両想いだったのかと嬉しく思った。

反面、その時から目の前のチャンスを取りこぼすようなクソヤローだったのかと自分を切なく思った。

そして、彼女は最近になって結婚し、かわいい赤ちゃんまでいるようで幸せな家庭を持った。

とにかく小学校時代の頃は何も考えてなかったけど、親の言うことは素直に聞き入れ、真面目に学校にも行った。

怒られた記憶は飴ちゃんを持っていって投げ合いをしていたら学校中で大問題になったことくらいだ。

人の言うことは全部素直に聞き入れ、スポンジのように吸収していたので、周りの大人がいい人ばかりでよかったとこの年になって思う。

10年以上も前になるけど、当時周りにいた大人に感謝して小学校編はおわりにしようと思う。

ポイント
・素直、真面目、勉強ができた、スポーツ万能の全部マン
・初恋の片思い(口に出して伝えなかった)
・門限があるほど厳しい親
・親の期待に沿おうとした
・バスケットボールを始めた

まる2号(中学校編)

いよいよ中学編だ。

まさかの書くのに1ヶ月空いてしまった。こういうところは本当によくない…

ここについてはビックリするほど記憶がなく久しぶりに同級生と会って話をしても全く話が噛み合わない…

ただここでは僕の人生のターニングポイントであろう挫折をするので、そのことはしっかり書きたい。

中学でも真面目な性格だったと思う。

ただ、勉強は少し苦手になってきて、その代わりにバスケとおふざけに意識が向いていった。

バスケにはかなり執着していたしプロにもなりたいと思ってた。

だから部活だからといってそんなに頑張らなくてもいいやとか、辞めてもいいやとか考えてるやつに対してはふざけんなと思ってた。

(当時の話…)

なんなら生活の中でもバスケを意識した。

栄養について勉強する、ご飯は左手で食べる、視野を広げるために普段もキョロキョロと周りを見る…

ほんとにのめり込み具合が凄まじかった。

僕らの頃から世間的に部活の時間を減らすような動きがあったけど、他にやれる場所を探して夜でもバスケをしていた。

僕の中学時代を一言で表してしまうと、”部活…以上”って感じだ。

今思うと、その時にしかできないこと、青春を、チャンスを相当逃してしまってたと思う。

(それもまたハオハルと信じよう…)

とはいうものの、いつも委員長的なことをやっていたし(実は1番楽なポジション)、クラスの人気者ではあったと思う。

3年の文化祭では、仮装大賞のようなものがあったんだけど「まるのボウリング」っていうタイトルで出て優勝したりしてた。

ただ、沢山思い出になるようなことがあったんだろうけど、ポロポロと年を追うごとに忘れていってしまって、今ではほとんど思い出に残ってることがない。

友達もあんまり思い出せない。(いなかった説すらある)

すごい軽い気持ち、小手先で生きていたんだろうなと今となっては思う。

(それでも当時は一生懸命に生きていたんだと思う)

そして、挫折の話。

これだけはめちゃめちゃ覚えてるし事細かく起きたこと、その時の感情を思い出せるから人生の中でもかなりの挫折だったと思う。

まず、大前提に僕はその頃、バスケだけが全てだった。

相当のめり込んでいたしチームも県内では常に上位にいて、地方大会にも出場するレベルだった。

僕は1、2年の時、全く芽が出なかった。

小学校の時の蓄えがあったから中学から始めた素人には負けなかった。

けども、一緒にやってきたやつはどんどん上手くなっていって、後輩にもユニフォームを奪われるなんてこともあった。

ただ、僕はそんなことはどうでもよく(悔しかったし正直どうでもよくない)、3年の大会で圧倒的な成績を上げて、バスケの有名校の工業高校に行って、プロになる…

そんなサクセスストーリーを思い描いていた。

そんな思いでやり続けていたら、2年の終わり頃に自分でも成長を実感できるようになっていた。

コーチにも「今はまだ踏ん張り時だけど、いずれ絶対使う」などと期待の言葉をかけてもらうようにもなった。

自分の思い描くストーリーにやっと軌道が乗り始めた。

自分が思うようにコトが運び出していった。

そう思ってた。

だけども、左膝に大怪我を負った。

頭が真っ白になった。

人生の全てだったもの、それが上手く進み始めて人生も軌道に乗ってきた。

そんな風に思えていた…

けど、一瞬で崩れ去った。

僕が立ち直るのには、心身ともにそれなりに時間がかかった。

(ラグビー選手がなるような怪我と言われてた。)

そんな僕を見ていた恩師は、落ち込んでばかりいる姿を見かねて、こうアドバイスをくれた。

「まる、落ち込んでばかりではよくない。天は乗り越えられる人にしか壁を与えない。今できることを一生懸命にやってみたらどうだろう?」

ありがちでありふれた言葉と思うかもしれない。

でも、この言葉にかなり救われた。

こういう言葉掛けをあえてしてくれる人は、本当に少ない。

今でも時々思うけど、やはり周りの人に恵まれている。

そして、この時僕の特徴である素直さがプラスに働いた。

中坊の僕が考え出した「今一生懸命にできること、すべきこと」は、3つだった。

チームのために働きかけること、

リバビリ・トレーニング、

勉強。

チームのためにという部分では、主に声掛けだった。

まだまだ浅はかでバスケを感覚的にやっていたからそれくらいのことしかできなかった。

それでもやった。

一生懸命に全力で。

リバビリ・トレーニングも全力だった。

1日でも早く復帰したかったから。

ただ、トレーニングの部分では、やり過ぎは身体に悪影響があるという知識はあったので、やり方とか栄養とか他のところで補えるように色々考えてやるようになった。

この時にスポーツというものを色んな観点から意識するようになった。

勉強については、正直嫌いだった。

実家の近くに県内トップの進学校があったけど、なんならその学校が嫌いだった。

勉強ができなかったということもあるだろうけど、勉強ばっかりしている人、いわゆるガリ勉がどうもかっこいいと思えなかった。

でも、全力でやった。

それはサクセスストーリーを思い描いていたからだった。

大学ではバスケの強豪校に行く。

そのためには、成績もなく無名の自分は勉強で入るしかない。

高校は勉強でトップクラスのところに入ろう。そうすれば、普通に勉強していてもバスケの強い学校に入れるだろう。

だとしたら、全力でバスケのことだけ考えて、高校生活を送れるだろう…

そんな安直にも思える考えだった。

当時はそれがベストな選択のような気がしていた。

恩師は沢山のことを教えてくれたけど、”孟母三遷の教え”ということわざ(意味は調べてください)もその内の一つだった。

そういう考えも素直に受け入れて、レベルが高い学校に身を置くことは間違いでないだろうと思っていた。

結局のところ、嫌いだった進学校を志望校にして勉強を始めた。

とはいえ、勉強は苦手意識があって成績についても平均以下であった僕にとっては、ハードルがかなり高い目標であった。

でも、一度バスケが消え真っ白になってしまった人生の中で実力がないとはいえ、はっきりと目標ができた。

浅はかではあったけど、自分で考え目標を決めてそれにしっかりとした目的もあったので、あとは頑張るだけだった。

(”ただ”努力すればよかった)

文字通り”やるだけ”だったので中学ながらも毎日10時間ほど勉強した。

学校でも塾でも使えるものは全て使ってやってたと思う。

寝る間も惜しんで(実際はちゃんと寝た)、バスケに注いだ情熱を全て注いだら見事に合格した。

我ながらあっぱれだった。

人生でもベスト3に入る成功体験だった。

この経験は僕にとってかけがえのない経験になった。

今までバスケばっかりやってきたけれども、少し視野を広げて、勉強を頑張って授業も真面目に受けていると自分が知らない世界・考えが腐るほどあった。

それを知ることはとても豊かなことだと思えるようになった。

今でも集中すると周りが見えなくなってしまうタイプだけど、この成功経験があったから人の話もよく聞くし色んなことをやってみたい、色んな世界を見てみたいと広い視野で物事を見えるようになった。

怪我も負わず、あのままバスケバカとして、突っ走っていったら、今頃プロ選手としてやっていたかもしれないけど、まさにバスケバカになっていたと思う。

だから、今では恩師の言った通り天が与えた試練だったんだなーと純粋に思える。

それを乗り越えたのは僕にとって自信にも繋がった。

これが僕にとっての大挫折であり成功体験だった。

高校に入ればバスケやりたい放題だ、と意気込んでいたけど、おバカにとっては進学校というものはとんでもなかった…

ポイント
・そもそもあまり覚えてない
・人気者
・バスケへの執着
・相変わらず片思いで終わる恋
・大挫折
・恩師の言葉
・視野の広がり

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まる3号(高校編)

いよいよ高校編だ。

まさかの書くのに2ヶ月空いてしまった。

こういうところは本当によくない…(圧倒的既視感)・・・まる2号参照

勉強嫌い、そもそもこの高校自体が嫌いだった僕にとっては、よろしくない時代を迎えたのかと思いきや、わりかし充実感があった。

ただ、入学式当日からとんでもない学校に入ってしまったと驚嘆した。

入学式が終わり、これからの学校生活に向けた準備が一通り終わったあと、クラスメイトと輪になり話す機会があった。

話題はもちろん入試の話になった。

(やべぇ、アホなんバレる…)

僕自身、中学時代の成功体験(高校に受かった)は誇りに思っていたので、少し自慢げに「めちゃめちゃアホやったけど、1年間毎日10時間くらい勉強してギリギリ入れたわー(どやぁ)」という話をしていたと思う。

すると、クラスメイトは「それはすごいなぁ!俺なんか2週間前までゲームしてたわー」と何の悪びれる様子もなく言ってきた。

(え、僕の毎日の10時間返せよ…)

とは思いつつも、こういうやつらと同じ環境で学生生活を送るのも悪くないと思っていたことは隠し難い事実だった。

ちなみに、この時にクラスメイトとあだ名決めをしたのだけど、あることから「じゃあマルクスでええやん!」と誰かが言い出した。

そこから大学までにかけて”マルクス”やら”マルちゃん”やら”まる”など、闘莉王、みたいなアダ名で呼ばれることになった。

わりかし充実感があったというのは、バスケの部分が大きかったと思う。

僕はてっきりガリ勉の弱小高校を一人で強くしていかないといけないと思っていた。

ボールを怖がる森崎くんという仲間に向かって「ボールはともだち 怖くないよ」というところから始めないといけないと思っていた。

(このネタわかるよね?)

でも、一個上の先輩には県内で一番上手いとされていた人がいて、他にも中学の時に主将をやっていた仲間など、僕がいた3年間は選手の集まりがよかった。

過去にリーダーだった仲間が沢山いて、そういう意味で学生主体のバスケができて良かったと思っている。

高校に入って改めて自分がアホほど勉強できない(というかアホな)ことがわかった。

それを言い訳にしてやらなかったのもあるだろうし、勉強することについてセンスがなかった。

僕は高校に入るまでこの高校の生徒を”ガリ勉”と一蹴してたけど、本当に学ぶということについて貪欲だった。

その点では、僕の学ぶということについての姿勢も変わったし彼らを見る視点も変わるようになった。

1つの問いに対して、他の解き方はないかな?と考えてみたり、この考え方を組み合わせることはできないのかな?と仲間で議論してみたり…その姿勢は勉強以外のことにも通ずる大事な姿勢だと思う。

休み時間に涼もうと廊下に出た時にクラスメイトが「宇宙が広がる速度」について議論をしていた時は、さすがにビックリして腰を抜かしてそのまま3ヵ月入院することになった。

(盛過ぎたけど、議論してたとこまではホント)

僕は学歴があるやつが偉いとかは全然思わないタイプだけど、上に書いた貪欲に学ぶ姿勢があるやつというのは、リスペクトしている。

そして、僕のクラスメイト、友達にはそういったやつが多かった。

僕がテレビで知ったことやSNSで見たバカみたいなことを話しても、「それでそれで?」と興味を持って聞いてくれる、そんなやつらだった。

彼らに久しぶりに会っても、それぞれの場所(会社員、公務員、医者など)で学び続けているし、成果も上げていることが容易にわかる感じだ。

(イキイキと話していて目が輝いている)

そんな奴らに毎日刺激を受けて生活を送っていたので、今思うとやっぱり充実してたんだと思う。

僕の通っていた高校には、変な人が多かった。

最近、わかったことだけど世の中の人というのは総じて狂っていて、変なやつらだ。

ただ、特にうちの学校では突出して変なやつが多かった。

(勉強もできるのに)全国レベルでスポーツもできてしまうイケメンとか、ゲームの大会全国ベスト4とか、東大レベルの学力があるのに急に気分が変わって地方大学に行くやつとか…

なんかそういうやつらだった。

いじられキャラで教室の天井にカバンをぶら下げられて、蹴ってみてと言われて、これは美味しいと思ってやったら腰を強打してそのまま3ヵ月入院したアホもいたけど…

生徒だけじゃなく先生も強烈なキャラが沢山いた。

挙げたらキリがないくらいに。1番、え⁈、てなったエピソードがある。

顔と話し方と性格にクセのある化学の先生がいた。

授業中、その先生がどうやら僕が内職をしていると勘違いしたらしく(まあしてたけど)、「まる!立てぇ」と言われた。

やべっと思いながら僕は言われた通り素直に立ち上がった。

すると、化学先生は「おい、まる!座れぇ」と怒鳴られた。

え…どういうこと?…

周りの仲間も今にも吹き出しそうになっていたけど、化学先生はただ僕を立たせて座らせただけだった。

ベストキッドかよ…

とまあクセのある変人集団の中で楽しく学生生活を送っていたけど、高校時代にも僕は挫折を味わっていた。

僕は将来のことについて、楽観的で、というより何も考えてなくて文理選択ですら幅が効くだろうと適当な理由で理系を選んでいた。

でも、僕が最終的に志望していたのは、体育・スポーツ系の学部で全くと言っていい程、理系科目が必要なかった。

当然授業も受験には必要ない授業ばかりだったけど、それでもなんとかやり過ごしていった。

ただ、ツケが受験期に周ってきて、その時はホントにしんどかった。

1日10〜14時間は勉強してたと思う。

元々勉強嫌いなやつがよくそこまでやったなと少しだけ褒めてあげたい。

大学受験には少しのセンスとかやり方の工夫とかが必要なはずなのに、そこを磨かず量で進めてしまった。

磨けば光るかもしれないダイヤの原石をそのまま質屋に出しに行ってしまった。

そのまま、受験を迎えてしまい国公立の(母校は鬼のように国公立を受けるよう勧められる、たとえ玉砕覚悟でも)大学2校は当然のように落ちた。

他で受けた私立大も呆気なく落ちてしまい、担任からはどこも行くとこないやん!っと言われる始末だった。

でも、すぐに切り替えて、私立大の春受験(後期試験)というものに臨んだ。

春受験は卒業式が終わってからも続くので頑張ろうと意気込んではいたものの、周りは卒業旅行を計画したり遊び出したりしていてメンタルはズタボロだった。

卒業式前日には、さらに僕を追い詰めるようなことがあった。

僕はクラス長をしていたので勉強の合間に担任に感謝の花束を買いに行っていた。

花屋さんでとうとう卒業か、と感傷に浸りながら待っているとスマホがポロンとなった。

確認すると、当時の彼女から連絡が来ていて何だろうと思って見ると、別れようと書かれてた。

なんだか花屋と卒業式前日というシチュエーション、そしてズタボロのメンタルがシナジーを起こして僕はちょうど明日のジョーのようになっていた。

(燃えたよ…まっ白に…燃えつきた…まっ白な灰に…)

悲し過ぎてそっから数日はご飯を食べても吐きそうになっていた。

もったいないから吐かなかったけど(そういう問題ではない)

そんな思いもあったけど、関係なく受験は進んでいった。

結果は2校受けて当たり前のように行きたかった方が落ちた。

仕方なく合格したとこに行くことを決めた。

そこの大学周辺はめちゃめちゃ田舎だったので原チャを使う必要があった。

そのため、また勉強かよと思いながら免許を取ることにしていた。

原チャの免許試験の前日、僕宛ての怪しい封筒が届いた。

それはなんともう1校の大学の追加合格通知だった。

3月末だったけど、そちらの方が行きたい思いがあり親もそちらの方がいいだろうと言ってくれて、わちゃわちゃしたがそちらの大学に行くことに決めた。

ドタバタしたけど、逆転ツーランホームランくらいは決めれた。(満塁ではない)

なぜなら中学時代考えていたサクセスストーリーであるバスケの強い大学に合格することができたからだ。

高校時代も色々あったけども、なんだかんだ思い出になって失敗談も今では笑い話になってるし良かったなと思う。

晴れてバスケが強い大学に入れ心ゆくまでにバスケができると思った矢先、まるに緊急事態が襲いかかる…

ポイント
・勉強マン集団
・悲しみのどん底
・楽観、考えてない
・バスケ以外での挫折
・いろんな思い出
・大学合格
・変人で、優秀な仲間

まる4号(大学編)

大人の階段登る君はまだ大学生編だ。

(しれっと25歳になっているのは秘密中の秘密だ。)

“鉄は熱いうちに打て”ということで、まる3号を書いたばかりだけど、すぐに書き始めた。

そして、今、歌舞伎町で待ち合わせをしている間にこの文章を書き始めているから驚きだ。

(まるの実家は昔、裏の田んぼに蛍が出てたようなド田舎だ…それにしても1時間ほど待ち人来ずだな…)

ギリギリのギリで入れた大学だったけど、まあまあ名の知れたとこなので少しの期待と昔からの仲間がいない不安とワクドキが止まらないまま、まる4号の生活は始まった。

4号の生活は体育会(バスケ)多め濃いめの生活だった。

練習は週6であり体育会の役員もやっていてその活動が隔週であった。

完全なオフは2日しかない(授業はある)ブラックな体育会人だった。

とは言ってもこの生活は自分がかつて高校に上がる前に望んでいたことで、しんどいとは思いながらも充実している大学ライフだったと思っている。

大学生活というものは今後の人生のために自由に使える期間だと思う。

だからこそ色んな転機があり、大きくも小さくも人生の岐路に立たされたと多く感じる期間のように思う。

まるは大学に入って「よし!全国から集まった上手いやつらと思いっきりバスケができる!」と当然のようにその資格を得たと考えていたけども、現実はそう簡単ではなかった。

実はバスケ部のマネージャーが高校の先輩だったこともあり(大学入るまで知らなかった)、バスケ部に入るに当たって色々聞いていた。

太古大昔の話なのでどんなコトを聞いてたか忘れてしまったけど、いくつか聞いていくうちに「一般で入ってきた子らは入部テストあんで」と教えてくれた。

………ええぇえぇえーーーー!!!

マスオさんばりのリアクションを取ってしまった。

全然想定外(アウトオブ眼中)だったし入試の要項にも大学の案内にも今朝の新聞にもそんなことは書いてなかった。

今来ている白シャツよりも頭が真っ白になった。

不意打ちとはまさにこのことである。

意識していないとこからのパンチは想像以上にダメージは大きい。

それをパスしなかったらこれまでの努力が全部水の泡になってしまうなと、急に緊張してきて脇がナイアガラの滝のようになった。

とにかく先輩からテストの概要を教えてもらい、そこまでに色々準備をしていった。

アジリティ能力、技術、面接が大方の内容だったかと思う。

トライアウトまでの間に、強いサークルで練習させてもらったり筋トレをめちゃめちゃしたりした。

特に筋トレと増量は意識的にした。

技術は数ヶ月で劇的に向上するものでもなくアジリティ能力で見られるスピード・瞬発力もすぐ身につけられるものではないなと思った。

見た目のインパクトしかない、そこが差別化できるところだと思った。

当時はご飯を食べながらお腹減ったなーと思うタイプの大食漢だった(二郎系のラーメン屋で爆盛を10分少々で食べて店内の人間を引かせたこともある)ので、増量なんて楽勝だろうと思っていた。

ところが、楽勝なんてものではなかった。

超楽勝だった。

結果として数ヶ月で10kgほど増量してそもそも筋肉や脂肪がつきやすい体質(科学的根拠とかは知らん)なので、結構なゴリラ体型になることができた。

トライアウト当日。

会場に行ってみるとなんとなく受かりそうだなと感じた。

実際にアジリティ能力のテストも技術のテストもまあまあの結果だったと思う。

色々思う部分はあったけど、何とかトライアウトを終えて一安心という感じだった。

終わってから少ししたタイミングで例の先輩マネージャーに所感だけ聞いてみた。

(その時点で結果を聞いてしまうのはフェアじゃないしシンプルに少し怖かった。)

すると「まるくんねー、身体能力もあるし技術テストの方もよかったんじゃないかな。ただ、面接は全然何言っとるかわからんかったけどね。」

あー、よかったよかった。

これはもうもらったやろ……ん、面接全然やったん!?あれ…やばない?落ちたんか?もしかして私おちたの?あぁ、普通に無理なんですけど…(メンヘラ発動)

とまぁ僕の心の中のリトルまるが叫んでたんだけど結果は無事パスしてて、とりあえず小さくガッツポーズを炸裂させた。

ブラック体育会人という書き方をしたけど、まる4号はとにかく体力があったなと思う。

学校の日はフルで授業に行って、その後部活をして21時か22時ごろから少しだけバイトをしてた。

土日は2部練(午前、午後部活)、3部練(察し)をして1日が終わってしまうことなんてざらにあった。

(「ざらに」の”ざら”って何なのか誰か教えて)

オフの日や少し時間ができた時は大体遊んでいたので実質年中無休のような生活を送っていた。

(いや…遊んでるやん)

高校の頃は周りのやつらは勉学ができて、”ヤバい”やつが多かったけど、大学ではスポーツ系ということでスポーツ界隈で”ヤバい”やつらが沢山いた。

グループワークで組んだやつが全国大会常連だったり、同じ講義を受けているやつが世界大会に出てたりなかなかクレイジーだった。

今でも交友のある友だちでさえも全中経験者でそのスポーツではそこそこ有名だったみたいだ。

(余談だけど、彼は今年結婚した、めでたい。)

ただ、クレイジーさ(アホさ)で言ったらまるだって負けてはないと思う。

まあ大学生なんてみんなバカなことして、それを武勇伝のように語るようなクソ野郎ばっかでまるもそれだ。

面白い・オイシイと思ったら全力で実行する貪欲なタイプの学生だった。

部活ばっかして友だちも少なく普段は陰キャのクセに友だちにフリを入れられると、場所を問わず急に誇張した全く似てない芦田愛菜ちゃんの真似をしてみたり

大学の前の長い坂をチャリで爆走して思っ切りこけて着いた手を見たら指が2本脱臼してて、ビックリし過ぎて引っ張って自分で治しちゃったり

京都で遊び過ぎて終電逃して、鴨川の河畔で一晩寝てみたり

体育会の役員の活動のために月1で県をまたいで原チャで1時間くらいかけて移動したり

深夜にお茶作ろうと思ってボトルに熱湯を入れて蓋を閉めて、何故かバーテンダーのように振って大爆発させて大ヤケドして死ぬかと思ったり

服着たまま海に飛び込んだり

次の日練習試合なのに地元で同窓会して、めっちゃ飲まされて潰れて帰れんくなったり

学祭で友だちの店に行って客引を少し手伝ってたら「ギャルに声かけて」と言われ、ギャル2人組に声かけたら普通に着いてきて出店のもん買ってくれて、何故かそのまま友だちと4人で回転すし食べに行って友だちの分含めて4人分の会計を全部まるがしたり

友だちが遊んでる最中に急に「今日クラブやろ?俺調べるから行こやー」と言ってきて、めっちゃイキって「最近できたとこ見つけたからここやな!」とその店に行ってみると、プレオープンで店員しかいなくて、クラブなのに、友だちと2人でしっぽりレッドブルウォッカを飲んだりした。

まあ何だかんだで楽しかったからどれも良い思い出だ。

思い出というと、いつも部活のことになってしまうんだけど長くなるから入部当初ビビったことだけに留めておく。

大学の部活というと、やはり”飲み”がトンデモないイメージがあると思う。

(バスケのことじゃないんかーい、お酒はハタチになってからね)

まるの家系はみなお酒が弱く飲み会というものが少し怖かったので、井上公造ばりに情報を集めまくった。

すると、良からぬ情報が沢山手に入った。

危うく文春にリークするところだった。

新歓の時にとりあえず生のピッチャーが1人1ピッチャーずつ置かれる(草野球にダルビッシュが出てくるようなもんである、ピッチャーだけに…)

飲み過ぎて吐血した人がいる、

近隣の飲み屋は全て出禁になっていて知り合いのいる店の1店舗しか飲み会を開催できない、

などなど聞いていた。(全てフィクションです。)

まるは相当ビビっていた。

ただ、当時の年代辺りから体罰事件やイジメが社会問題になっていて、”飲み”の実態は聞いていたほどではなく一安心していた。

まあでもブラックニッカの小ボトルを一気してる先輩やテキーラをジョッキで一気してる先輩を見たときは唖然として記憶から消した。

(あれは麦茶だろうとかお冷のロックだろうとかと思うことにした。)

部活のこととか言っときながらお酒にビビった話になってしまった。

結局、自分自身もかなりお酒・飲みの場が好きになってしまって最後の部活の飲み会では、コール製造機になっていた記憶がある。

(この時生まれたコールは、後の代にも引き継がれた。)

部活の思い出と言ったらこれくらいだ。

(んな訳がない。ちゃんと書くと炎のゴブレット上下巻くらい書ける)

あとの思い出と言ったら大したことない。

テストを鬼の一夜漬けで乗り切ったり、

時間がある時は友達とゲームしたり、

アニメとか映画とか見たり、飯行ったり、

いつも急に漢気じゃんけんが始まって喫茶店で8千円も払ったり、

極寒の地にカワサギを釣りに行ったり、

夏には琵琶湖に泳ぎに行って淡水だからいつも溺れそうになったり、

冬になると毎年スノボに行ったり、

オールした朝には決まってすき家に行ってメガ牛丼を食べて気持ち悪くなるというノリをしたり、

疲れたら銭湯に行って湯に浸かった後コーヒー牛乳をキメたりなどしたくらいだ。

デートなども沢山した。

京都に出かける、映画を観に行く、ゴハンを食べに行く、イルミネーションを見に行く。

当時は仲良い、仲良くしたいなと思ってるから遊びに行くという感覚だったけど、これらはデートだった。

(最近男子校出身の友人に女の子とそうやってサシで遊ぶのをデートって言うんよと強めに叱られた。)

バイトは少しだけした。

ほんの少しだけだったけど。

塾講師、某ラーメン屋、居酒屋をやってみた。

塾講師は2ヶ月くらいやって、マンツーツーみたいな体制がよくわからんくてやめた。

ラーメン屋はいつも繁盛していて忙しかったけど、時間の都合などすごく合わせてくれて1年ほど働いている間に何故か時給が50円アップしたりもした。

融通が利き、まるがしんどそうな顔をしていたら唐揚げをくれる人がいたりして人もよかった。

だけども、途中で何でか思い出せないけどバーで働きたくなってやめた。

居酒屋は大衆というよりも渋めの単価5千円ほど取るような”イイ”感じの店で働いた。

(あんまり言うとアレだが、∞の人も来たことがあった。)

というのも元々はその姉妹店のバーで面接を受けて人が足りてるからという理由で落とされたのだけど、姉妹店で働かない?ということでそっちで働くようになった。

(後に人が足りなくなったからという理由でバーのシフトにも入ることがあった。)

ここでのバイトは結構楽しくまかないも美味しかった。

少し高めではあったので客の層もウェイウェイ大学生はいなく家族や小金持ちみたいな人が多く接客もそんなに苦ではなかった。

まるはおじさんおばさんにモテるのか、中年の層に絡んでもらうことが多かった。

普段話さないような人だからそれもまた良い経験だったし楽しかった。

(酔ってるおばさんに可愛い顔してんねと言われ、顔面をベロベロに触られたのは強烈だったけど)

社員以外のバイトメンは若い人が多く大学生や若いフリーター、JKも何人かいた。

まるが入った時にはJKはすでにベテランだったので「まるさん、バッシングしてくださいね…注文とれてます?…」みたいに注意を受けることもあったけどそれもまた悪くなかった。

(そういう癖ではない。)

自分の方が距離をとっていたのでバイト中に彼ら彼女らと話すことはあんまりなかったけど、1度だけバイト外で「今遊んでるんですけど、遊び来ます?」と誘われたことがあった。

でも、何故か用があったのか思い出せないけど断ってしまった。

当時の自分を鈍器で殴ってあげたい。

昔から欲のままに動けない習慣があるのでその時も何らかの行かない理由をつけて断ったのだろうと大方予想がつく。

バーの方にも幾度かシフト入ったけどこちらは当時の自分には経験がない、目新しいものばかりだった。

いつもそれを見ていて知らない間にバイトの時間が終わってしまうような感じだった。

お酒の種類も沢山あった。

ワインなんかは特にわからない。

カベルネ・ソーヴィニヨン、シャルドネ、シルク・ド・ソレイユ(それはサーカス!)ともう何がなんだかわからなかった。

お酒作りも常連さんのお酒のもので少しだけやらせてもらった。

(カクテルのしゃかしゃではないけど)

氷でグラスを冷やしてベースになるお酒を入れてまたカラカラと廻して割るものを入れる、という具合で誰にでもできるようなバーテンダーごっこみたいなものであった。

それでもさっきまで話していた客がお世辞でも美味いよ、と言ってくれれば嬉しかった。

君も飲みなよと言われそれでは失礼しますというようなやり取りも好きだった。

将来はバーを開こうかいね…

そんなこんなでどうしようもない大学生活を送ってきた。

バスケばっかりしてまるで自分の将来に背を向けるかのように没頭していた。

「ずっとバスケ続けて偉いね」という人もいるけど、やりたくてやっているだけだから偉くもなんともないのである。

熱中したり没頭したりという感覚はそういうもんだと思う。

寝食を忘れる、まさにそれくらい集中していたんだと思う。

これが仕事ならなと何億回考えたかわからない。

ホリエモンとかZOZOの前澤さんとかはそれが仕事になったタイプだと思う。

熱中して時間も忘れるくらい集中してみんなは大変というけれど、本人からしたら時間が足りないという感覚なんだと思う。

そういうことを考えていると上部と本音の塩梅はめっちゃ難しく就活は死ぬほど苦労した。

(嘘もつけず相手がこう言って欲しいんだろうという場面でも上部でパーっと話せない)

それでもなんとかなって全て収まるところに収まった。

やりたいことも見つからず、何とか東京まで出てきたまる5号。

ブラック体育会人の経験から完全週休二日制で働くのは余裕だと思ったまるだったけど、イケてる社会人になれたのだろうか…

ポイント
・オフのない生活
・アホほどバスケをした
・就活は苦労した
・無尽蔵の体力
・欲のままに動けない
・少しのバイト経験
・飲んでも飲まれるな
・熱中するとは

まる近況号

まる5号かと思わせて近況を書いていく号だ。

実は10月末で今の会社を退職し11月頭より転職先で働くことが決まっている。

改めて自分の人生を振り返ってみると、いろんなことを人に頼って生きてきた。

自分のやりたいことすらなかなか自分で決められず誰かが決めてくれる、時間が経てば決まってくると思っていた。

「まるさんは良い人ですね」「まる君はなんで優しいの?」と言われることがあるけど別にそんなに良い人でもなければ、優しくもない。

自分で決めることが怖くてビビって柔くて脆いまさに優柔不断なだけだ。

だからみんなの好きなようにしていいよ、責任は自分が取るから、みたいなスタンスで一見信頼のおけるいいやつに見えて実はなんにもしないやつだったりする。

人によっては、僕のことを寡黙で思慮深く真面目な人だと思っているのだろう、何かやってくれるだろうと、沢山のチャンスを与えてきてもらった。

(基本的に最後までやり遂げるので、真面目なのはホントのはず…)

5号でも書くつもりだけど、社会人になってからだと新卒なのに社長の付き添いで海外出張に行ったり新卒なのに新卒の採用教育のPMになったりなどした。

どうやら僕はチャンスを引き寄せることが上手いようだ。

人にも恵まれている。

ただ如何せん、目の前の事象をチャンスだと思ってそれをモノにしたり何がなんでも掴み取りにいったりする能力に欠けている。

自分の欲を強烈な理性で塞ぎ込んでしまうのが、僕の悪い癖だ。

スピード感に欠けている。

自分でもそれは認識しているし、友達や先輩に聞いてもそういうことらしい。

人の気持ちにも賞味期限があるようでこれだと思ったモノや欲求については、新鮮な内に処理しないといけないようだ。

いや、むしろ人の気持ちは寿司みたいなものだ。

新鮮な内に捌いてやり過ぎないように工夫を凝らし、アクセントとして少しのワサビを付けて握って、すぐに食べてもらうことが大事なんだと思う。

僕のそれは回転寿司で最後まで回ってるカピカピになってしまってる様なモノだ。

僕が大事にしないといけないのは、気持ちが触れた方に”すぐ”動くということなんだと思う。

10秒以内に食べないと下げられてしまう寿司屋さんくらいスピード感を持って、鮮度がなくならない内に、欲に素直に反応していかないといけないのだ…

そんな人間が自らの意志で転職を決めて周りの反対・納得しない人たちも説得したので、ここだけを見れば大きな成長である。

それでも、ここまで来るのに1年以上かかった。

やはり、遅すぎるのだ。

ただ、この一歩を大きな一歩として走り抜けていきたい。

自分が次の場所でしたいこと、やり遂げたいことが何となく見えてきている。

僕も同期のサクラのように、私には夢があります…を枕詞にして、みんなの前で堂々と夢を語れるくらい確固たる決意とともに自分が思うように動けたらと思う。

そして、釣った魚をそのまま船の上で捌いて食べるような鮮度を持った気持ちで動けたらと思う。

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激動ゴーゴーまる5号(社会人編)

激動ゴーゴーまる5号と韻踏みまくりバイブスぶち上げなタイトルだ。

16年の学生生活を終え、学生気分のままではやってられない”社会人”編だ。

社会人になって自分がフワフワと思い描いていた像とは全く違った生活を送るようになった。

そして、実にいろいろあった。

僕は長年いた関西(エセ関西という人もいるけど、知らん)の地を離れ、就職のため上京をした。

上京して働くというと何となく高層ビルに入っているオフィスとか、芝生が生茂ってる、もしくはシャレオツな空間とかでバリバリに、そして自由に働くのをイメージしてた。

(ドラマの見過ぎかもしれない。)

僕が入った会社はWeb商材を取り扱うベンチャー企業だった。

ベンチャーと言えど上場はしていたし”そういった”イケてる類の人も少なくなんとなく静かな落ち着いた人が多かったので微妙な位置づけだった。

高層ビルの一室でもなければベンチャー特有のイケイケの空間でもなかった。

とはいうものの、いろんな経験をしたし、させてもらった。

面白いことや辛いこと悲しいこと辛いこと…良いことばかりではないけど、どれも経験として素晴らしい経験だった、と思いたいし、これらの経験が美化できる将来を過ごしていきたい。

想像していなかったというのも普通に一般的な企業に入って仕事(普通というのがわかりにくいけど要は大人がいう安定した仕事)をしていたら、できないような経験を沢山したからだ。

長くなりそうだからとりあえずこれまでの社会人生活をぎゅっとした、サマリーのみ先に書いておこう。

2017年4月、新卒1期生として入社。周りの社員から期待され、まる含め6人の新卒が入社する。

半年間、研修を受ける。

入社半年後、ようやく新卒がそれぞれの部署に本配属される。

まるはWeb商材(主にホームページ)の営業をする部署に配属された。

他の同期もみんなバラバラの部署に配属された。

営業に配属されたものの、Webの知識がないと商材が売れないということでさらに研修チックなことをした。(もう一生研修するのかと思った…)

2ヶ月後、クライアントに営業をかけることもなく新卒の採用教育担当になる。

新卒周りの担当者の枠が空き社内で後任を探していたところ、僕はいろんな人とも関われるしチャンスだと思い、手を挙げた。

しんどいと思うよと周りにも言われたけど、新卒なのに新卒周りのことができるというのは、ある意味貴重な経験だとも思い、やることを決めた。

この会社の新卒採用の領域の部署はトップ直下の部署になっていて会社の代表と2人で新卒採用教育をしていくことになった。

その時が1年目の12月頃だったと思うのでおよそ半年間くらいはその業務をしていくことになった。

表向きでは19卒採用のキリが良かったということで後任の人に担当を引き継ぐことになった。

その後、この会社を辞めるまではホームページの制作チームに入りひたすらキーボードをカタカタして営業や外注とやり取りして制作物のメンテナンス業務をしていた。

(おかげでありがとうございます。とおつかれさまです。が世界で一番早く打てるようになった。)

もっとわかりやすく書くとこうだ。

1.2017年新卒入社

2.半年間研修後、本配属

3.2ヶ月間、本配属先で研修

4.半年間、新卒採用教育担当

5.1年強、HPチーム

6.辞める

ここから少し詳しくしていこう。

1.2017年新卒入社

この会社には自分が就活時持っていた(作った)軸に合致していたのと、理念に共感したので入社を決めた。

ここら辺は就活生あるあるだから割愛。

5人の同期とともに入社した。

同期は旧帝大出身の頭キレッキレみたいなのはいなかったけど、みんな自分の意見を持っていて、自分で考えて行動するようなタイプで優秀だった。

今ではほぼみんな会社を辞めてしまって各々の場所で活躍しているようだ。

毎晩飲みに行くような仲ではなく先輩社員から仲悪いの?と聞かれる始末だったけど、良い仲間という感じだった。

互いに会社を辞めてしまった今でも、たまに飲みに行ったり会う機会を持ったりもしている。

(まるが引っ越したのでその回数が激減すると思うと非常にかなりとても寂しい。)

最近では、全然昔の話ではない、はずなのに同期の存在ってすごく良いものだったなーと思う。

2.半年間研修後、本配属

入社した後は半年間ほど研修があった。

仕事をしたことがある人はわかると思うけど半年間は研修期間としてかなり長い。

新卒1期生だからということと、シンプルに効率的な研修を制度として持ってなかったのもあると思う。

研修の内容はジョブローテーションを含む内部研修と隔週で行われるマナーとビジネスの外部研修だった。

ジョブローテーション研修は基本的に各部署を回っていくような研修だったけど、ローテーションのパートの1つに社長のカバン持ちのようなものまであった。

僕のローテーションの最初がそれだった。

社長の打ち合わせに同席したり頼まれごとをやったりするような感じで社長秘書?といった方がわかりやすいかもしれない。

僕のローテーションの時は、社長も初めてで重要な案件の打ち合わせやそれこそ情報を外部に出せない(他の社員にすら)会議にも頻繁に同席させてもらった。

社長同士の打ち合わせが多くこれ聞いていいやつなんか?と思うものが沢山あったけど、どれも聞いたらダメなやつだった。

打ち合わせの度、社長から言っちゃダメだよと言われていた。

(まるにそのフリはきつかった。頑張ってお口ミッフィーにしてたけど…)

1番驚いたのは社長が海外に重要な打ち合わせに行く時に「まる君も行く?」と聞かれてふざけているのかもわからず、真顔で「行きます!」と行ったら本当に連れて行ってもらったことだ。

(ちなみに、まるはその国の言葉も英語すらもおぼつかない。むしろ日本語も危ない。)

この半年間は研修として長く感じたのは否めないが、本当にいろんな人に会ったりいろんな経験をしたりした貴重な期間となった。

3.2ヶ月間、本配属先で研修

研修の後、営業の部署に本配属されることになった。

強い営業マンになっていくには、商材のことを知る必要があると言われWebのチームにてOJTで研修を受けることになった。

結局、その後すぐに異動があったので、クライアントに営業をかけることはなかった。

4.半年間、新卒採用教育担当

異動後、会社のトップ管轄の部署にて新卒の採用教育を担当することになった。

前任の人が海外での事業を担当することとなり社内で新卒周りの担当を探していたところ、僕が手を挙げたという感じだった。

その話が僕に回ってきた時、研修とはいえ、ずっとデスクワークをしていたので一瞬でやりますと回答した。

(まるはじっとしているのが苦手なタイプである。)

また、会社のトップと関われること、新卒で新卒周りの担当をする希少性に惹かれたことで即決した。

周りにはしんどいと思うよと言う人もいたけど、経験のないことだったし、なんせチャンスだと思ったのでやることに決めた。

トップと僕の2人で新卒周りのことをしていくと聞いていたけども、採用イベントなどに出てもらえるだけで実質的には1人でやっていく形になっていった。

また、新卒周りの業務フローは確立されてなく担当を12月に引き継いだので、採用については準備期間もなく本当に忙しかった。

毎週のように採用イベントのために日帰り出張(北海道、大阪、福岡とかとか)をしていた。

イベントの際には、プレゼンがあるので学生数十人の前で会社についてプレゼンをし、その後には質問会があったので全てトークスクリプトに落とし込んで何十回も予行練習をした。

出張が終わったらイベントのフィードバックをし、優秀な学生がいれば採用のフローに乗せていくためにリストを作成するなど、次回選考の準備を進めた。

間もなく次回のイベントを打ち出すために、某Rさんのページを更新したり出張のスケジュールを組んだり関係者と打ち合わせをしたり事前の準備をした。

新卒が1人でやっていることもあり上への報連相も徹底してしなければならなかった。

わからないことがあれば、聞くようにはしていたものの、途中より相談はしないでほしい(考えさせないでほしい)と言われるようにもなった。

これはビジネスの基本なのかもしれないけど、当時の僕はわかんないから聞いているのに…と少々困惑していた。

(yes/noで応えられる提案をしてほしいみたいだった。)

こんなひっちゃかめっちゃかな働き方をしてたから、新卒1年目の僕にとっては死ぬほど忙しかった。

そして同時に、緊張感も半端なく社会人になるとワキに滝ができるのかと思った。

毎日10時から25時まで働いて、休憩もロクに取ってなかった。

土日のどちらかも終わりきってない業務を潰していたくらいだ。

平日は25時までやっても終わらないことが幾度かあり、朝起きたら見覚えのないPCが横で寝てたなんてことは日常茶飯事だった。

(見覚えのない女だったことはない…)

こんな現状だったので、ある時、採用イベントを他の社員に協力してもらおうと思いトップへ相談をしたけども、なんでそんなことするの?と一蹴された。

(結局は新卒採用プロジェクトを立ち上げ、他の社員に協力してもらうことになった。)

恐らくそこら辺から心に余裕がなくなって、いろんなことが上手くいかなくなっていった。

やり方は任せると言われていたけども、実際には前任がやっていたやり方、トップの要望、外部のコンサル、人材の業者が提案してくるやり方など、いろんな角度、視座からの意見が僕に集中し、かなり混乱した。

僕はそれこそ社会人経験がなかったので、どの意見も一理あると思い、ブレにブレた。

ただ、トップからの要望はかなり強く、そこは絶対だと言われていたため自分のやっていることが徐々に矛盾し始めた。

それが段々と気持ち悪い(1つも思うように進まない)と思うようになった。

そして、ミスも連発するようになっていった。

その後はメンタルが沈みに沈んでしまい、いろいろあり過ぎた。

書くのが難しいこともあるので割愛したい。

(気になる人は直接聞いて)

とりあえず、採用のキリが良いタイミングでHPを制作するチームへ異動することになった。

(異動の回数が半端ないけど、お気にせずに…)

異動する前は兎にも角にも気が滅入っていて今思えば同期などに相談すべきだったなと思う。

同期とは毎日飲みに行く仲でもなかったけど(社内では新卒の不仲説が流れてたくらいだ)、みんな優秀だったし、それぞれ問題を抱えていて、それでも仲間がなんかあればちゃんと解決しようとしてくれた同期だった。

僕はトップと働いていたこともあって、調子に乗っていたのかもしれないし、時間で言うと誰よりも仕事をしていたので、何か勘違いしてしまってたかもしれない。

今、「同期のサクラ」を見ている人はわかるかもしれないけど、ちょうど葵くん(真剣佑の役)のようだった。

(顔の話ではない…)

同期から1度だけ「まるってさ、私たちのことナメてるんじゃない?」と言われたことがあった。

自分では全くそういうつもりがなかったので言われた瞬間はイラッとしてしまったけど(まるの怒りの沸点はエーテル並に低い)、客観的に見てそう見えていたということはそういうことだろうと思う。

自分では気づけない指摘をしてくれた同期には感謝したい。

僕の同期はそういう仲間だったので相談をすればおそらく当時の僕の重い思いを受け止めて、改善策を出してくれたと思う。

それができなかった僕はこのタイミングで会社を近いうちに辞めようと決心した。

5.1年強、HPチーム

その後、辞めるまではHPのチームに所属していた。

まるの主な仕事は制作したホームページのメンテナンスの業務と海外のパートナーの窓口として外注にHPのメンテナンス業務を指示し社内のリソースを減らすことだった。

大変な仕事のようであるけど、簡単に言えば海外の人にもわかりやすい日本語で業務を説明するだけの簡単に誰かにとって替われる仕事だった。

チームの人が悪いわけでもなく僕としてもやるからには何か得なきゃという想いで業務を行なっていたものの、辞めると考えていることと業務自体が完全にルーティンのものとなってしまったことがあり僕の気持ちはそこになかった。

結局はこのHPチームに所属している期間が長かったけど、変な話、刺激がなかったなーと思ってしまう自分がいる。

仕事は多いのに緊張感がない感じでこのまま仕事をしていってしまったら、僕は腐っていってしまうんじゃないかとすら思った。

そして、新卒で入った会社を辞める決心をした。

6.辞める

実際に辞めたのは辞めようと考え始めてから一年強経ってからになった。

いろいろな原因があるけども、なってしまったと言う方が的確かもしれない。

僕が辞めるまでにいろんな人が辞めていった。

特に僕が関わっていた人、仲良くしていた同期、尊敬する先輩が次々と辞めていってしまったので、”人”という点でもつまらなくなっていった。

(そうだ…人についてあんまり書けていなかった。あとで書こう…)

いろんな要因があって自分の”せい”のことも多くあるけど、やはり環境というものは大事だと再認識した。

(孟母三遷の教えね)

別に前の会社が…というわけではなくて、単に合っていなかったのだと思う。

僕が話が合うなーと思っていた人、仲良くしてた人も全員辞めてしまったこともあるので、やはりそういうことなのかなと思う。

辞めるのに時間がかかったのはあくまでもポジティブな理由で辞めたいと思っていたからだ。

もともと何がやりたい!ということもなく目の前の仕事を一生懸命にしている内に見つかるだろうという気持ちで仕事をしていたので、ただただ辞めてしまえば自分の中に何も残らなかった。

一年強経った今、やりたいことが見つかったので、辞めることができた。

今は転職してそこでやりたいことのために新しいことを覚え始めているとこだ。

というのが、社会人になってこれまでの経歴だ。

(ホントは3分の1も伝え切れてない。)

最後に、人について全然書いてなかったので書いていきたい。

僕が社会人になってから影響を受けたなと思う人が数人いるんだけど、その中でも3人について書いていく。

会社の同期と尊敬する先輩、先輩と飲みに行く間に知り合った女の子の3人だ。

まずは同期。

僕にナメてるんじゃないの?と言ってくれた同期だ。

会社では彼女と1番仲が良く、よく飲みに行ったりカラオケに行ったりしていた。

入社してすぐはそれほど仲良くなかったけども、僕が新卒の担当になった時彼女と先輩のいる部署も僕の部署と近くその時にかなり仲良くなったんだと思う。

気も合うし性格も良かったので変な話だけど、会社の中で1番好きだった。

というか、周りの人にも本人にも言っていた。

ただ、僕は社内恋愛が嫌だと思っていたしそれこそ周りにも言っていたので、何にも起こることはなかった。

僕がそんな社内恋愛が…みたいなことを思ってなかったら、普通に好きだったんだろうなと思う。

他の同期と同じく彼女も優秀でハッキリとモノを言うし、明るく周りの人を元気にしてくれるタイプで僕が持ってない能力、素質を持っている人だ。

その一方で、何かプライベートでは、少しだけ闇というか暗さを抱えているような人でそこは僕と共通していて矛盾しているようだけど、とにかく面白くてノリが合った。

そんな彼女はナメてるんじゃないの?とか思ったことを言ってくれる、僕にとって貴重な存在だった。

怒るでもなく叱るでもなく、それはダメだ、それは良いとストレートに言ってくれて、彼女なりにアドバイスをくれていた。

意図的にそんな風に話していてくれたかわからないけど僕はそういう言葉に救われたことが何度かあった。

次に先輩。

僕が1番辛く1人で抱え込んでいる時に「まる君さ、今日は仕事切り上げて飲みに行かない」と声をかけてくれた人だ。

社会人になって、1番いろんな事を教えてもらったし、よく飲みに行ったりカラオケに行ったりしていた。

(圧倒的既視感。実は先に出てきた同期と先輩とで行くことが多かった。)

先輩は中途で入社してきて僕の仲の良い同期と同じ部署に配属されていた。

その部署で行われた先輩の歓迎会に誘ってもらって、飲み会→カラオケまで行って、この人は何だか面白い人だなと思って、自分から話しかけに行ったのを覚えている。

(今書いてて思い出した。話した内容はよく覚えてないけど…)

先輩のことを器用貧乏なんだろうね、と言う人がいたんだけども、本当に器用でなんでもできたし、なんでも知っていた。

まさに全部マンだった。

だけど、何故か上の人で先輩のことをよく思ってない、勘違いしている人がいると噂でよく聞いた。

(八方美人するタイプではなかったからかな…)

もともとバリバリの営業マンだったらしく僕が新卒採用をしている時もアドバイスを沢山くれたし実際に一緒に動いてくれた。

(採用業務は学生に対して、自社全体の営業をかけるようなモノなのでめちゃくちゃ参考になった。)

先輩もいつも夜遅くまで残っていて気がつくと、テッペンを超えて会社に2人しかいないということがよくあった。

いつも気にかけてくれ(心配だったのか、そういう性格なのかわからないけど…)、週に1度や2度は、よし、飲み行くか!という感じでノートPCをパタンと閉じる。

後何分?と煽られて僕が急いで仕事を終わらす、もしくは強制終了して飲みに行くというのがお決まりのパターンだった。

僕はその誘いがすごく嬉しかったしそのままやってても終わらないでしょ?という先輩の言葉通り、気絶しているような頭で仕事をやってても何も終わらなかった。

それよりも飲みに行っていろんなことを教えてもらう方がよっぽどリフレッシュもできて勉強にもなるし次の日も頑張れた。

本当になんでも知っている人で知らないことがないんじゃないかと思うくらい全部知っていたし、事ある毎に色んなことを教えてもらった。

仕事の仕方、考え方、伝え方、人の喜ばせ方とか仕事のことも沢山教えてもらった。

また、オススメの本とかサプライズの仕方とか、流行りものとか、5大ジュエラーとか、なんでも教えてくれた。

(ちなみに、ハリーウィンストン、バンクリ、カルティエ、ティファニー、ブルガリが5大ジュエラー。知らなかったでしょ。)

僕はそういう話を聞くのがとても好きだったし何も知らないからめちゃめちゃタメになった。

全部マンである以前に飲みに行くのも好きだし面白いしスマートでシュッとしていたので、尊敬できてあんな風になりたいなと思えるような人だった。

教えてもらったことで実際に役に立つ知識知恵も沢山あってそれで感謝されることもあって本当に縁があってよかったと思う人だ。

最後に先輩との縁で知り合った女の子。

僕がいつからか好きになった女の子だ。

(出会った経緯については割愛)

初めて会った時はかわいいなーってだけだったけど、何回か会って先輩にもあの子いいじゃんって言われている内に徐々に好きになっていた。

(これが心理学でいう単純接触効果というやつか…)

だけど、会える機会は本当に少なくてサシでご飯に行くチャンスも2回ほどしかなかった。

(先輩含めて会うことは何度もあった。)

僕は向こうには全然気持ちがないと思っていて結局2回目?のご飯に行った後は何にも音沙汰なく会うこともなくなってしまった。

後日談で先輩から聞いた話(なんか相談してたみたい)だと、2回目のご飯に行った辺りで僕のことを気になってくれてたらしい。

連絡もなく会うこともなかったので僕は全くそんなことに気付けなかった。

僕のダメなところはいつもタイミングを伺ってしまうところでそのダメなクセがいつまでたっても抜けない。

思ったことはその時に言うべきだった。

あの線までいったら休憩しよう、明日になったらやろう、あの日デートできたら好きだと伝えよう…といつでもタイミングを測ってしまって何もせずに失敗してしまう。

後悔だけが残る。

(その後、大後悔時代となり船旅をすることになる。)

そんなことをしている内に相手の気持ちがなくなって、もう”別の人の彼女になったよ”ということになってしまう。

そういうことを痛感させてくれた出会いだった。

こんな風に僕はダメダメ人間なんだけど、何故か運はあって書いた3人だけではなくて色んな人に巡り合ってその人達がまた縁を作ってくれたりなどもした。

そして、そのみんなにお世話になった。

僕は初め、東京の人はみんな冷たいと思っていたけど、今となっては東京にいる人が好きだ。

みんな何か考えや意志があって東京にチャレンジしに来る。

内に秘めている人もいるけど、みんなそれぞれにパッションを持っている。

そういう人達が僕にとても刺激をくれた。

今は引っ越してしまって関西に戻ってきているけど、近い将来、どんな形でもお世話になった人達に恩返しできたらいいなと思う。

そして、また東京で働いたりもしたい。

タラタラと長い文章になったけど、人生100年時代としても4分の1が過ぎたと思うとやはり早いなと思う。

そして、やりたいことを見つけて東京で出会った人達もおいて関西に戻ってきたからには、しっかりやりたいことを貫かないといけないなと思う。

そろそろ本気出さないとなー…

ポイント
・気絶するくらいの忙しさ
・新卒の新卒担当
・社会人像のギャップ
・人との縁
・やりたいこと
・思った時に伝える

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