まるは”末っ子次男”について真剣に考えてみた。

まるは"末っ子次男"について真剣に考えてみた。至高な思考
スポンサーリンク

みなさんこんにちは、まる(@maruboyblog) です。

新年1発目のまるブロです。

こちらの記事は結構な力作と信じているので読んで感想なんかももらえると嬉しいです。

余裕のある方はSNSでみんなにも広めてください!


僕、まるは次男であり末っ子だ。

ゲーマーでオタクの一面を持つ、少し歳の離れたインドアの兄と2人兄弟だ。

(兄はよく喋るので陰キャという感じでもない。)

長男長女というのはただ下の兄妹を持ったというだけの存在ではない。

彼らは元々ひとりっ子だった。

そしてそれは考えてみると、当たり前のようで意外な事実だ。

(松本伊代も16歳の時があったということくらい意外だと思う。)

それ故に、家庭環境は違えど大切に丁寧に育てられたのだと思う。

次男以降は変な話、ある程度容量を弁えて育てられるような感がある。

一度、兄が経験しているのと同じ道、教育を通ることになる。

(子によって全く違う育てられ方をされてもそれはそれでおかしな話だけど…)

“お古”や”使い古し”なんかはそれをよく表したモノだと思う。

学校のものなんかは大抵、昔に兄が”おニュー”で使ってたものだった。

ゲームだってそうだった。

兄は昔からめちゃくちゃゲーム、パソコンをする。

僕が少しでもしていると親に小言を言われたり怒られたりしていた。

(おかげでマサイ族並みに視力がいい。)

どうやら親目線からはゲームはいらない”お古”のモノだったらしい。

親は兄にしていた”おニュー”の教育を経験として、”お古”のモノにする。

ジャージや学ランと同じで”お古”にも使い物になる・ならないモノがあるようだ。

(寸足らずだったりボロボロだったり使い物にならない。)

次男以降にはそういった基準ができてしまうのでゲームの件もそうだけど、どこかで我慢を強いられることになる。

ゲームだけで言えば兄は2、3箱にしまう程カセットを持っていたけど、僕はゲーム本体とカセットを合わせても片手で収まるほどしか持っていなかった。

買ってもらうことも少なかったしそもそも欲しいモノがあったとしても、ダメと言われるだろうと我慢することが多かった。

ゲームだけではなく例えば宿題をやってないから友達と遊べなかったりテストの点が悪かったら怒られたり(兄がそういうので怒られたのを見たことがなかった…)、とにかく我慢をすることが多かった気がする。

我慢することが多かったことによって良くも悪くも副産物があった。

1.我慢・忍耐強くなった
2.遠慮がち、人の目を気にする
3.洞察力がついた

こんな感じで3つのことが勝手に自分の性格として身についてしまった。


1.我慢・忍耐強くなった

好き放題やれずじっと我慢することが多かったから我慢強く、忍耐強くなってしまった。

僕が携帯なんかを持っていなかった時、友達と映画を観に行く約束をして友達が日を間違えたのに気付かず、映画が終わらずに3時間程待ち続けたというのはまる界隈では有名な話だ。

2.遠慮がち、人の目を気にする

僕は昔から気にしいというか人の目をめちゃくちゃ気にするタイプだ。

今でこそそういう性格が損をすると思い意識的に直してきたけど、性格はなかなか直らない。

(性格は習慣、行動、言葉、思考と遡らないといけないから直りにくい。)

幼い頃にダメだと言われることが多かったので、何かを言われる前にこれを言ったらどうなるだろう、どう思われるだろう、と気になって仕方がない。

この性格は社会に出てからめちゃめちゃ損をするなと実感した。

世の中は実力問わず”言ったもん勝ち”というところがある。

いくら良いアイデアを持っていたとしても言わなければ何ともならないようだ。

これは世の中というか、万事に関してそうなのかもしれない。

(僕の知り合いに29回同じ子に告白して振られ30回目に付き合ったヤツがいる。)

ただ僕は時に突拍子のないことを考えて実行しようとするので、少しは遠慮がちでよかったのかもしれない。

3.洞察力、発想力がついた

僕は自分でいうのもアレだけど洞察力があると思っている。

これは色々なことをさせてもらえずめちゃめちゃ見てたからだと思う。

ゲームだってそうだし何故か家族の中で僕だけさせてもらえない、ということがいくつかあった。

(歳によるものもあったけど…)

させてもらえないことに関しては、近くでずっと見ていた。

そして、イメージだけで楽しんでいた。

(1人遊びに階級があればプロになれる自信がある。)

そのおかげかはわからないけどゲームはほとんどやらないのに、大体の操作方法がわかればいつもやってる人と渡り合えるし大体のことはイメージが掴めればできるようになった。

我慢を強いられて育った末っ子は、僕以外にも沢山いると思うし上記3つも僕だけが持った性格とも思えない。

末っ子はこういう性格を持ってくる運命なのかもしれない。

あともう一点、長男長女より高い能力があった。

人に頼る力だ。

力というよりかは性格として備わっているのかもしれない。

次男以降の子どもは”お古”の教育を受けるというような話をしたけども、これは親にとっては良い意味でも悪い意味でも先手を打てるということだ。

次男以降の子どもは先々に色んなことをしてもらえる。

様々なリスクを回避できることになるし多くのことをやってもらえるんじゃないか、というようになるのだと思う。

気持ちだけではなくてそういう風に持ってくのが上手い。

僕だけではなくて周りの友達を見ててもそう思う。

現に僕は人に頼ることが多いし頼らせてくれる人も多い。

BBQに行けば火をこしもしないで(誰かがいち早くやってくれてるからね)”食べる係”になり、遠出をする時は運転しない(させてもらえない)クセにちゃっかり助手席に座っている。

みんなで鍋パをしようとなっても、(みんな料理上手だから)大体応援係か盛り上げ隊に徹する。

その代わり出されたものは美味しく食べるし運転手以外寝てても話相手として起きてるし、パーリーの時はその場を全力で楽しんでいる。

感謝も忘れない。

ということで性格として備わったものは4つになってしまったけども、末っ子次男っていうのはこういうものなんだと思う。

僕が25年間やってきたから自信がある。

(違うと思う人は議論しよう…)

結局何が言いたかったかというと末っ子次男として生まれてきて我慢することが多かったけど、今となっては”ラッキー”だったんじゃないかと思う。

“人に頼れる”ことは人生を生きやすくすると思う。

誰にも頼れないんじゃどこかで息が詰まってしまう、苦しくなる。

(そんな経験がなかったわけではないけど…)

長男長女は”自律”する能力に長けてる分、僕らよりもっと苦しむ人が多いんじゃないかと思う。

そういう意味でラッキーだった。

ただ、これまで楽に生きて過ぎたのかもしれない。

これからは全国の長男長女を見習って自律して色んな苦難困難を打開していかないとも思っている。

だから、しんどくなったらみんな助けてね。

末っ子次男感をおおいに放出して、この文章を締めくくろうと思う。

コメント

タイトルとURLをコピーしました