激動ゴーゴーまる5号(社会人編)
激動ゴーゴーまる5号と韻踏みまくりバイブスぶち上げなタイトルだ。
16年の学生生活を終え、学生気分のままではやってられない”社会人”編だ。
社会人になって自分がフワフワと思い描いていた像とは全く違った生活を送るようになった。
そして、実にいろいろあった。
僕は長年いた関西(エセ関西という人もいるけど、知らん)の地を離れ、就職のため上京をした。
上京して働くというと何となく高層ビルに入っているオフィスとか、芝生が生茂ってる、もしくはシャレオツな空間とかでバリバリに、そして自由に働くのをイメージしてた。
(ドラマの見過ぎかもしれない。)
僕が入った会社はWeb商材を取り扱うベンチャー企業だった。
ベンチャーと言えど上場はしていたし”そういった”イケてる類の人も少なくなんとなく静かな落ち着いた人が多かったので微妙な位置づけだった。
高層ビルの一室でもなければベンチャー特有のイケイケの空間でもなかった。
とはいうものの、いろんな経験をしたし、させてもらった。
面白いことや辛いこと悲しいこと辛いこと…良いことばかりではないけど、どれも経験として素晴らしい経験だった、と思いたいし、これらの経験が美化できる将来を過ごしていきたい。
想像していなかったというのも普通に一般的な企業に入って仕事(普通というのがわかりにくいけど要は大人がいう安定した仕事)をしていたら、できないような経験を沢山したからだ。
長くなりそうだからとりあえずこれまでの社会人生活をぎゅっとした、サマリーのみ先に書いておこう。
2017年4月、新卒1期生として入社。周りの社員から期待され、まる含め6人の新卒が入社する。
半年間、研修を受ける。
入社半年後、ようやく新卒がそれぞれの部署に本配属される。
まるはWeb商材(主にホームページ)の営業をする部署に配属された。
他の同期もみんなバラバラの部署に配属された。
営業に配属されたものの、Webの知識がないと商材が売れないということでさらに研修チックなことをした。(もう一生研修するのかと思った…)
2ヶ月後、クライアントに営業をかけることもなく新卒の採用教育担当になる。
新卒周りの担当者の枠が空き社内で後任を探していたところ、僕はいろんな人とも関われるしチャンスだと思い、手を挙げた。
しんどいと思うよと周りにも言われたけど、新卒なのに新卒周りのことができるというのは、ある意味貴重な経験だとも思い、やることを決めた。
この会社の新卒採用の領域の部署はトップ直下の部署になっていて会社の代表と2人で新卒採用教育をしていくことになった。
その時が1年目の12月頃だったと思うのでおよそ半年間くらいはその業務をしていくことになった。
表向きでは19卒採用のキリが良かったということで後任の人に担当を引き継ぐことになった。
その後、この会社を辞めるまではホームページの制作チームに入りひたすらキーボードをカタカタして営業や外注とやり取りして制作物のメンテナンス業務をしていた。
(おかげでありがとうございます。とおつかれさまです。が世界で一番早く打てるようになった。)
もっとわかりやすく書くとこうだ。
1.2017年新卒入社
↓
2.半年間研修後、本配属
↓
3.2ヶ月間、本配属先で研修
↓
4.半年間、新卒採用教育担当
↓
5.1年強、HPチーム
↓
6.辞める
ここから少し詳しくしていこう。
1.2017年新卒入社
この会社には自分が就活時持っていた(作った)軸に合致していたのと、理念に共感したので入社を決めた。
ここら辺は就活生あるあるだから割愛。
5人の同期とともに入社した。
同期は旧帝大出身の頭キレッキレみたいなのはいなかったけど、みんな自分の意見を持っていて、自分で考えて行動するようなタイプで優秀だった。
今ではほぼみんな会社を辞めてしまって各々の場所で活躍しているようだ。
毎晩飲みに行くような仲ではなく先輩社員から仲悪いの?と聞かれる始末だったけど、良い仲間という感じだった。
互いに会社を辞めてしまった今でも、たまに飲みに行ったり会う機会を持ったりもしている。
(まるが引っ越したのでその回数が激減すると思うと非常にかなりとても寂しい。)
最近では、全然昔の話ではない、はずなのに同期の存在ってすごく良いものだったなーと思う。
2.半年間研修後、本配属
入社した後は半年間ほど研修があった。
仕事をしたことがある人はわかると思うけど半年間は研修期間としてかなり長い。
新卒1期生だからということと、シンプルに効率的な研修を制度として持ってなかったのもあると思う。
研修の内容はジョブローテーションを含む内部研修と隔週で行われるマナーとビジネスの外部研修だった。
ジョブローテーション研修は基本的に各部署を回っていくような研修だったけど、ローテーションのパートの1つに社長のカバン持ちのようなものまであった。
僕のローテーションの最初がそれだった。
社長の打ち合わせに同席したり頼まれごとをやったりするような感じで社長秘書?といった方がわかりやすいかもしれない。
僕のローテーションの時は、社長も初めてで重要な案件の打ち合わせやそれこそ情報を外部に出せない(他の社員にすら)会議にも頻繁に同席させてもらった。
社長同士の打ち合わせが多くこれ聞いていいやつなんか?と思うものが沢山あったけど、どれも聞いたらダメなやつだった。
打ち合わせの度、社長から言っちゃダメだよと言われていた。
(まるにそのフリはきつかった。頑張ってお口ミッフィーにしてたけど…)
1番驚いたのは社長が海外に重要な打ち合わせに行く時に「まる君も行く?」と聞かれてふざけているのかもわからず、真顔で「行きます!」と行ったら本当に連れて行ってもらったことだ。
(ちなみに、まるはその国の言葉も英語すらもおぼつかない。むしろ日本語も危ない。)
この半年間は研修として長く感じたのは否めないが、本当にいろんな人に会ったりいろんな経験をしたりした貴重な期間となった。
3.2ヶ月間、本配属先で研修
研修の後、営業の部署に本配属されることになった。
強い営業マンになっていくには、商材のことを知る必要があると言われWebのチームにてOJTで研修を受けることになった。
結局、その後すぐに異動があったので、クライアントに営業をかけることはなかった。
4.半年間、新卒採用教育担当
異動後、会社のトップ管轄の部署にて新卒の採用教育を担当することになった。
前任の人が海外での事業を担当することとなり社内で新卒周りの担当を探していたところ、僕が手を挙げたという感じだった。
その話が僕に回ってきた時、研修とはいえ、ずっとデスクワークをしていたので一瞬でやりますと回答した。
(まるはじっとしているのが苦手なタイプである。)
また、会社のトップと関われること、新卒で新卒周りの担当をする希少性に惹かれたことで即決した。
周りにはしんどいと思うよと言う人もいたけど、経験のないことだったし、なんせチャンスだと思ったのでやることに決めた。
トップと僕の2人で新卒周りのことをしていくと聞いていたけども、採用イベントなどに出てもらえるだけで実質的には1人でやっていく形になっていった。
また、新卒周りの業務フローは確立されてなく担当を12月に引き継いだので、採用については準備期間もなく本当に忙しかった。
毎週のように採用イベントのために日帰り出張(北海道、大阪、福岡とかとか)をしていた。
イベントの際には、プレゼンがあるので学生数十人の前で会社についてプレゼンをし、その後には質問会があったので全てトークスクリプトに落とし込んで何十回も予行練習をした。
出張が終わったらイベントのフィードバックをし、優秀な学生がいれば採用のフローに乗せていくためにリストを作成するなど、次回選考の準備を進めた。
間もなく次回のイベントを打ち出すために、某Rさんのページを更新したり出張のスケジュールを組んだり関係者と打ち合わせをしたり事前の準備をした。
新卒が1人でやっていることもあり上への報連相も徹底してしなければならなかった。
わからないことがあれば、聞くようにはしていたものの、途中より相談はしないでほしい(考えさせないでほしい)と言われるようにもなった。
これはビジネスの基本なのかもしれないけど、当時の僕はわかんないから聞いているのに…と少々困惑していた。
(yes/noで応えられる提案をしてほしいみたいだった。)
こんなひっちゃかめっちゃかな働き方をしてたから、新卒1年目の僕にとっては死ぬほど忙しかった。
そして同時に、緊張感も半端なく社会人になるとワキに滝ができるのかと思った。
毎日10時から25時まで働いて、休憩もロクに取ってなかった。
土日のどちらかも終わりきってない業務を潰していたくらいだ。
平日は25時までやっても終わらないことが幾度かあり、朝起きたら見覚えのないPCが横で寝てたなんてことは日常茶飯事だった。
(見覚えのない女だったことはない…)
こんな現状だったので、ある時、採用イベントを他の社員に協力してもらおうと思いトップへ相談をしたけども、なんでそんなことするの?と一蹴された。
(結局は新卒採用プロジェクトを立ち上げ、他の社員に協力してもらうことになった。)
恐らくそこら辺から心に余裕がなくなって、いろんなことが上手くいかなくなっていった。
やり方は任せると言われていたけども、実際には前任がやっていたやり方、トップの要望、外部のコンサル、人材の業者が提案してくるやり方など、いろんな角度、視座からの意見が僕に集中し、かなり混乱した。
僕はそれこそ社会人経験がなかったので、どの意見も一理あると思い、ブレにブレた。
ただ、トップからの要望はかなり強く、そこは絶対だと言われていたため自分のやっていることが徐々に矛盾し始めた。
それが段々と気持ち悪い(1つも思うように進まない)と思うようになった。
そして、ミスも連発するようになっていった。
その後はメンタルが沈みに沈んでしまい、いろいろあり過ぎた。
書くのが難しいこともあるので割愛したい。
(気になる人は直接聞いて)
とりあえず、採用のキリが良いタイミングでHPを制作するチームへ異動することになった。
(異動の回数が半端ないけど、お気にせずに…)
異動する前は兎にも角にも気が滅入っていて今思えば同期などに相談すべきだったなと思う。
同期とは毎日飲みに行く仲でもなかったけど(社内では新卒の不仲説が流れてたくらいだ)、みんな優秀だったし、それぞれ問題を抱えていて、それでも仲間がなんかあればちゃんと解決しようとしてくれた同期だった。
僕はトップと働いていたこともあって、調子に乗っていたのかもしれないし、時間で言うと誰よりも仕事をしていたので、何か勘違いしてしまってたかもしれない。
今、「同期のサクラ」を見ている人はわかるかもしれないけど、ちょうど葵くん(真剣佑の役)のようだった。
(顔の話ではない…)
同期から1度だけ「まるってさ、私たちのことナメてるんじゃない?」と言われたことがあった。
自分では全くそういうつもりがなかったので言われた瞬間はイラッとしてしまったけど(まるの怒りの沸点はエーテル並に低い)、客観的に見てそう見えていたということはそういうことだろうと思う。
自分では気づけない指摘をしてくれた同期には感謝したい。
僕の同期はそういう仲間だったので相談をすればおそらく当時の僕の重い思いを受け止めて、改善策を出してくれたと思う。
それができなかった僕はこのタイミングで会社を近いうちに辞めようと決心した。
5.1年強、HPチーム
その後、辞めるまではHPのチームに所属していた。
まるの主な仕事は制作したホームページのメンテナンスの業務と海外のパートナーの窓口として外注にHPのメンテナンス業務を指示し社内のリソースを減らすことだった。
大変な仕事のようであるけど、簡単に言えば海外の人にもわかりやすい日本語で業務を説明するだけの簡単に誰かにとって替われる仕事だった。
チームの人が悪いわけでもなく僕としてもやるからには何か得なきゃという想いで業務を行なっていたものの、辞めると考えていることと業務自体が完全にルーティンのものとなってしまったことがあり僕の気持ちはそこになかった。
結局はこのHPチームに所属している期間が長かったけど、変な話、刺激がなかったなーと思ってしまう自分がいる。
仕事は多いのに緊張感がない感じでこのまま仕事をしていってしまったら、僕は腐っていってしまうんじゃないかとすら思った。
そして、新卒で入った会社を辞める決心をした。
6.辞める
実際に辞めたのは辞めようと考え始めてから一年強経ってからになった。
いろいろな原因があるけども、なってしまったと言う方が的確かもしれない。
僕が辞めるまでにいろんな人が辞めていった。
特に僕が関わっていた人、仲良くしていた同期、尊敬する先輩が次々と辞めていってしまったので、”人”という点でもつまらなくなっていった。
(そうだ…人についてあんまり書けていなかった。あとで書こう…)
いろんな要因があって自分の”せい”のことも多くあるけど、やはり環境というものは大事だと再認識した。
(孟母三遷の教えね)
別に前の会社が…というわけではなくて、単に合っていなかったのだと思う。
僕が話が合うなーと思っていた人、仲良くしてた人も全員辞めてしまったこともあるので、やはりそういうことなのかなと思う。
辞めるのに時間がかかったのはあくまでもポジティブな理由で辞めたいと思っていたからだ。
もともと何がやりたい!ということもなく目の前の仕事を一生懸命にしている内に見つかるだろうという気持ちで仕事をしていたので、ただただ辞めてしまえば自分の中に何も残らなかった。
一年強経った今、やりたいことが見つかったので、辞めることができた。
今は転職してそこでやりたいことのために新しいことを覚え始めているとこだ。
というのが、社会人になってこれまでの経歴だ。
(ホントは3分の1も伝え切れてない。)
最後に、人について全然書いてなかったので書いていきたい。
僕が社会人になってから影響を受けたなと思う人が数人いるんだけど、その中でも3人について書いていく。
会社の同期と尊敬する先輩、先輩と飲みに行く間に知り合った女の子の3人だ。
まずは同期。
僕にナメてるんじゃないの?と言ってくれた同期だ。
会社では彼女と1番仲が良く、よく飲みに行ったりカラオケに行ったりしていた。
入社してすぐはそれほど仲良くなかったけども、僕が新卒の担当になった時彼女と先輩のいる部署も僕の部署と近くその時にかなり仲良くなったんだと思う。
気も合うし性格も良かったので変な話だけど、会社の中で1番好きだった。
というか、周りの人にも本人にも言っていた。
ただ、僕は社内恋愛が嫌だと思っていたしそれこそ周りにも言っていたので、何にも起こることはなかった。
僕がそんな社内恋愛が…みたいなことを思ってなかったら、普通に好きだったんだろうなと思う。
他の同期と同じく彼女も優秀でハッキリとモノを言うし、明るく周りの人を元気にしてくれるタイプで僕が持ってない能力、素質を持っている人だ。
その一方で、何かプライベートでは、少しだけ闇というか暗さを抱えているような人でそこは僕と共通していて矛盾しているようだけど、とにかく面白くてノリが合った。
そんな彼女はナメてるんじゃないの?とか思ったことを言ってくれる、僕にとって貴重な存在だった。
怒るでもなく叱るでもなく、それはダメだ、それは良いとストレートに言ってくれて、彼女なりにアドバイスをくれていた。
意図的にそんな風に話していてくれたかわからないけど僕はそういう言葉に救われたことが何度かあった。
次に先輩。
僕が1番辛く1人で抱え込んでいる時に「まる君さ、今日は仕事切り上げて飲みに行かない」と声をかけてくれた人だ。
社会人になって、1番いろんな事を教えてもらったし、よく飲みに行ったりカラオケに行ったりしていた。
(圧倒的既視感。実は先に出てきた同期と先輩とで行くことが多かった。)
先輩は中途で入社してきて僕の仲の良い同期と同じ部署に配属されていた。
その部署で行われた先輩の歓迎会に誘ってもらって、飲み会→カラオケまで行って、この人は何だか面白い人だなと思って、自分から話しかけに行ったのを覚えている。
(今書いてて思い出した。話した内容はよく覚えてないけど…)
先輩のことを器用貧乏なんだろうね、と言う人がいたんだけども、本当に器用でなんでもできたし、なんでも知っていた。
まさに全部マンだった。
だけど、何故か上の人で先輩のことをよく思ってない、勘違いしている人がいると噂でよく聞いた。
(八方美人するタイプではなかったからかな…)
もともとバリバリの営業マンだったらしく僕が新卒採用をしている時もアドバイスを沢山くれたし実際に一緒に動いてくれた。
(採用業務は学生に対して、自社全体の営業をかけるようなモノなのでめちゃくちゃ参考になった。)
先輩もいつも夜遅くまで残っていて気がつくと、テッペンを超えて会社に2人しかいないということがよくあった。
いつも気にかけてくれ(心配だったのか、そういう性格なのかわからないけど…)、週に1度や2度は、よし、飲み行くか!という感じでノートPCをパタンと閉じる。
後何分?と煽られて僕が急いで仕事を終わらす、もしくは強制終了して飲みに行くというのがお決まりのパターンだった。
僕はその誘いがすごく嬉しかったしそのままやってても終わらないでしょ?という先輩の言葉通り、気絶しているような頭で仕事をやってても何も終わらなかった。
それよりも飲みに行っていろんなことを教えてもらう方がよっぽどリフレッシュもできて勉強にもなるし次の日も頑張れた。
本当になんでも知っている人で知らないことがないんじゃないかと思うくらい全部知っていたし、事ある毎に色んなことを教えてもらった。
仕事の仕方、考え方、伝え方、人の喜ばせ方とか仕事のことも沢山教えてもらった。
また、オススメの本とかサプライズの仕方とか、流行りものとか、5大ジュエラーとか、なんでも教えてくれた。
(ちなみに、ハリーウィンストン、バンクリ、カルティエ、ティファニー、ブルガリが5大ジュエラー。知らなかったでしょ。)
僕はそういう話を聞くのがとても好きだったし何も知らないからめちゃめちゃタメになった。
全部マンである以前に飲みに行くのも好きだし面白いしスマートでシュッとしていたので、尊敬できてあんな風になりたいなと思えるような人だった。
教えてもらったことで実際に役に立つ知識知恵も沢山あってそれで感謝されることもあって本当に縁があってよかったと思う人だ。
最後に先輩との縁で知り合った女の子。
僕がいつからか好きになった女の子だ。
(出会った経緯については割愛)
初めて会った時はかわいいなーってだけだったけど、何回か会って先輩にもあの子いいじゃんって言われている内に徐々に好きになっていた。
(これが心理学でいう単純接触効果というやつか…)
だけど、会える機会は本当に少なくてサシでご飯に行くチャンスも2回ほどしかなかった。
(先輩含めて会うことは何度もあった。)
僕は向こうには全然気持ちがないと思っていて結局2回目?のご飯に行った後は何にも音沙汰なく会うこともなくなってしまった。
後日談で先輩から聞いた話(なんか相談してたみたい)だと、2回目のご飯に行った辺りで僕のことを気になってくれてたらしい。
連絡もなく会うこともなかったので僕は全くそんなことに気付けなかった。
僕のダメなところはいつもタイミングを伺ってしまうところでそのダメなクセがいつまでたっても抜けない。
思ったことはその時に言うべきだった。
あの線までいったら休憩しよう、明日になったらやろう、あの日デートできたら好きだと伝えよう…といつでもタイミングを測ってしまって何もせずに失敗してしまう。
後悔だけが残る。
(その後、大後悔時代となり船旅をすることになる。)
そんなことをしている内に相手の気持ちがなくなって、もう”別の人の彼女になったよ”ということになってしまう。
そういうことを痛感させてくれた出会いだった。
こんな風に僕はダメダメ人間なんだけど、何故か運はあって書いた3人だけではなくて色んな人に巡り合ってその人達がまた縁を作ってくれたりなどもした。
そして、そのみんなにお世話になった。
僕は初め、東京の人はみんな冷たいと思っていたけど、今となっては東京にいる人が好きだ。
みんな何か考えや意志があって東京にチャレンジしに来る。
内に秘めている人もいるけど、みんなそれぞれにパッションを持っている。
そういう人達が僕にとても刺激をくれた。
今は引っ越してしまって関西に戻ってきているけど、近い将来、どんな形でもお世話になった人達に恩返しできたらいいなと思う。
そして、また東京で働いたりもしたい。
タラタラと長い文章になったけど、人生100年時代としても4分の1が過ぎたと思うとやはり早いなと思う。
そして、やりたいことを見つけて東京で出会った人達もおいて関西に戻ってきたからには、しっかりやりたいことを貫かないといけないなと思う。
そろそろ本気出さないとなー…
ポイント
・気絶するくらいの忙しさ
・新卒の新卒担当
・社会人像のギャップ
・人との縁
・やりたいこと
・思った時に伝える
コメント