一度だけでいいから頭の中を覗いてみてほしい。まる号

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まる1号(小学校編)

幼い頃から振り返ってみたいと思う。

とは言うものの、記憶力に問題があるのか中学校以前の記憶はほとんどない。

微かな記憶を頼りに書いていきたいと思う。

(もしかしたら悪い記憶が美化されてるかもしれないから気をつけよう…)

まずは幼少期。

平成6年の戌年にオギャーと生まれてきた。

今思うと、あの時半音高くオンギャ〜と泣いていれば、センスだけで生きてける人間に育っていたかもしれない。そんなはずはない、、

まるは関西勢だと思っているけど、実際は東日本にも西日本にも属さない外国でベイベーまるは爆誕した。

だけど、生まれたすぐに親の転勤で翔んで埼玉し、小学校に上がるタイミングで帰国しているので、僕には南ちゃんのような幼馴染はいない。

幼稚園の頃の記憶なんて全くなくて、覚えていることは3つくらいしかない。

1個は運動会の締めの競技のリレーで組の代表に選ばれたこと、

もう1個はサッカーをやってたこと、

あとは幼稚園の横に柿の木が生えてたこと。

この頃からスポーツが好きだったんだなーと思う。

サッカーに関しては当時、一生懸命にやってた記憶しかないけど、親から聞いた話だと県代表に選ばれてたらしい。

幼い頃から運動神経だけはあったようだ。

(国語の試験は80点台しかとれないけど…)

幼稚園の頃の記憶はこれくらいしかないから、もう小学校の話に移りたいと思う。

(本当に3年通ってたのかな…)

ただ、やはり記憶力に問題があるので、小学校の記憶もそんなにない。

幼稚園の記憶よりはマシなので、しっかり書いていこうと思う。

以前にも書いたけど小学校に上がるタイミングで外国に戻ってきた、僕はいわば帰国子女(みたいなもの)である。

自分で言うのもアレだけど、僕は優しく素直で真面目で面白く運動もできる、全部マン、白馬の王子様、あるいは神童だったと思う。

(顔については触れないでほしい、当時は可愛かったはず、)

入学式当日はすごく緊張していた記憶が微かにある。けれども、何故だかすぐに友達ができた。

その友達とは小学校時代めちゃめちゃ遊んだが、今では全然連絡すら取ってなく、近況もわからない。

ただ、彼が実家の仕事を継いだことは親伝いで聞いた。

人生迷走してる僕よりも圧倒的に偉いなーと感心した。今度、帰省したら久々に会いに彼のお店に顔を出しに行こう…

サッカーは少し形を変えてフットサルをすることにした。

僕はスポーツであれば何でも好きだったし、運動能力は抜群だったので、たくさんのスポーツをした。

フットサル、ソフトボール、水泳、バスケ、バレーボールなどを習い、学校では10分休みでさえもドッチボールをしていた。

スポーツ八方美人だった。

体育の授業では、大体すぐになんでもできてしまうので少し退屈な部分もあった気がする。

器械体操では、体操を習っている友達と同じことができ、授業で取り扱っていないハンドスプリングや跳び箱の上でクルクルと回ったりしていた。

それだけスポーツ好きで得意だったけども、そのほとんどを小3で辞め、バスケに専念することにした。

バスケを始めた理由は友達に誘われたからというのが理由でだったと思う。

今思えばフットサルの強化チームへの昇級テストに落ちたことと、バスケに誘われて他のスポーツより思い通りにできず負けず嫌いに火が付いたことがちょうど重なってバスケ1本にしようと決めたような気がする。

そこから15年以上経ち、頻度は減ったものの今でも本気でできるからやはり魅力的なスポーツなんだなと改めて感じる。

僕は人気者だったと思う。

少なくとも小学校時代にまるというやつがいたなーとみんなが思い出すレベルには。

スポーツは抜群にできたし優しいしテストもほぼ満点だったし、何より面白かった。(当時はエンタと笑金のマネをしてるだけでもウケてた。)

こんなことを言うとアレだけど、小学生くらいのころなんて上の条件があればもてはやされたし少しモテてた。

ただ、それでいて少し親は厳しかった。

漢字ドリルが終わるまで友達のとこに遊びに行ったらダメとか、毎日そろばん教室に行きなさい(そろばんが終わったらすぐにバスケの練習だった)とか、門限もあったし友達も家に呼ぶことはほとんど許されていなかった。

だから、もてはやされていたとは言っても友達と遊ぶ機会はかなり少なかったし、なんなら学校外で遊ぶ友達も少なかったと思う。

当時はそれをとても悲しく思ったけど、厳しい代わりにやりたいと言ったことはやらせてくれていた親には今でこそ感謝している。

小学校では、初恋を含めて2度恋をした。

今でも気にしいな性格だけど、当時はかなりその気が強く好きだと口に出して伝えることは全くしなかった。

だけど、とてもはっきりと行動や言葉に滲み出ていたと思う。

周りの友達は好きなんやろー(ニカッ)と煽ってくるんだけども、「は、好きじゃねーし、意味わからんし」と典型的な強がりを言っていた。

という感じでこちらが勝手に想って何も伝えないという卑怯な恋をしていたので、何も実らず叶わず2度の恋はただの片思いで終わった。

初恋の子は中学校も同じだったものの、高校からはわかれた。

成人式で久しぶりに会って何故かは忘れたけど、少しだけ連絡を取った。

すると、その子も初恋が僕だったということがわかり、両想いだったのかと嬉しく思った。

反面、その時から目の前のチャンスを取りこぼすようなクソヤローだったのかと自分を切なく思った。

そして、彼女は最近になって結婚し、かわいい赤ちゃんまでいるようで幸せな家庭を持った。

とにかく小学校時代の頃は何も考えてなかったけど、親の言うことは素直に聞き入れ、真面目に学校にも行った。

怒られた記憶は飴ちゃんを持っていって投げ合いをしていたら学校中で大問題になったことくらいだ。

人の言うことは全部素直に聞き入れ、スポンジのように吸収していたので、周りの大人がいい人ばかりでよかったとこの年になって思う。

10年以上も前になるけど、当時周りにいた大人に感謝して小学校編はおわりにしようと思う。

ポイント
・素直、真面目、勉強ができた、スポーツ万能の全部マン
・初恋の片思い(口に出して伝えなかった)
・門限があるほど厳しい親
・親の期待に沿おうとした
・バスケットボールを始めた

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